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 (つづき)
 いまなら、ビデオやDVDで、キャストをたしかめることができるかも知れない。しかし、まったく無名のマルレーネ・ディートリヒの名がキャストに出ているだろうか。

 その後、ガルボの伝記、ディートリヒの伝記を読んだ。しかし、どういう本を読んでも、『喜びなき街』にディートリヒが出たという記述はなかった。
                                         そのため、私自身、自分が見たガルボとディートリヒがすれ違うシーンは、ひょっとすると、私の錯覚かも知れないと思った。むろん、「戦後」のドイツに、ディートリヒによく似た娘が歩いていたとしても不思議ではない。しかも、当時の私は、スクリーンのディートリヒを一度も見たことがなかった。だから、無名のドイツ娘が、ディートリヒだという確証はない。ガルボだってはじめて見たのだった。
 まったくあり得ない妄想だったのかも知れない、と思うようになった。

 だが、ガルボが別の娘とすれ違った一瞬のカットは、当時、17歳の私の心に深く刻まれたのだった。

 それから、何十年という歳月が過ぎた。
 ある日、オットー・フリードリク著、『洪水の前 ベルリンの20年代』(1985年/新書館)という本を読んだ。
 そのなかに、若き日のディートリヒについての記述があった。

     G・W・パプスト監督の名作、『喜びなき街』でちょっとした役にありついた。その映画の中で、グレタ・ガルボと一緒に闇市の肉屋の前の行列に並んだのである。

 私はこの2行を見たとき、茫然とした。私は間違っていなかった!
 戦争が終わったばかりに・・・何ひとつ予備知識なしに見た映画、G・W・パプスト監督の『喜びなき街』で、ガルボが一瞬、別の娘とすれ違う。その娘が、まさしくマルレーネ・ディートリヒだった、という喜びだった。
 あれは、白日夢ではなかった。私の直観はただしかった!
 そして、長年、心にひっかかっていた疑問が解けた。
 たが・・・もう一つ、別の疑問が胸にひろがってきた。
 あの映画の中で、マルレーネ・ディートリヒはグレタ・ガルボと一緒に闇市の肉屋の前の行列に並んだのか。私の記憶では、ディートリヒはガルボとすれ違うだけである。敗戦後のウィーンの雑踏のなかで、お互いに顔を見合わせるわけでもなく、ただ、一瞬、すれ違う。
 ガルボはからだにぴったりフィツトした、黒い堅苦しいスタイル。画面右からよろめくように雑踏に出てくる。疲れきっている。
 と、左から、安っぽいプリント模様、白いワンピースの娘が歩いてくる。一瞬、肩がふれあいそうな距離ですれ違う。むろん、お互いに眼をあわせることもない。
 ディートリヒは「ちょっとした役」ともいえない、ただの通行人だったのではないか。
 どなたか教えてくださる方はいないだろうか。