私は「文学講座」を続けているのだが、そのなかで鴎外、漱石に言及するときは、きまって鴎外先生、漱石先生というくせがある。日頃から、鴎外さん、漱石さん。むろん、鴎外先生、漱石先生に面識はない。
「戦後」の浅草で「荷風さん」を見かけたことがあるけれど、だいたいは荷風。荷風先生とは呼びにくい。
個人的にどうのこうのというわけではないし、文学的に影響を受けたというわけでもない。つまり、こういう使いわけには特別な理由もないのだが。
内村 直也、植草 甚一のおふたりは「さん」。
五木 寛之も「五木さん」。
澁澤 龍彦は「渋沢くん」。