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 昭和初期、いわゆるエログロ・ナンセンス盛んなりし頃、川端 康成の『浅草紅団』が出ている。私は川端 康成の傑作と見ているのだが、おなじ頃、「世界猟奇全集」という、ちょっといかがわしいシリーズものが出版された。そのなかに「世界スパイ戦秘話」という1冊がある。昭和6年(1931年)12月刊。

 こんな記述がある。

    墺洪国皇室には、不絶(たえず)呪っているものでもいるように、不吉な宿命がつきまとっていた。古いことではあるが、フランシス・ジョゼフ陛下が、王位に昇られた第一年には、洪牙利(はんがり)の一無頼漢の為に、行幸の途中を襲撃され、幸運にも凶漢の銃火を脱れた。その後皇后陛下が、無名の伊太利(イタリ)無政府党員の為に、ジェノアで射撃され、遂に薨去された。次いで唯一人の皇子は、病原不明の奇怪な急病に襲われ、俄に世を去られた。気の毒な皇帝は、引き続く悲しい不幸の後、甥に当るフエルヂナンド大公を皇太子に選ばれた。

 このフエルディナンド大公が、1914年6月28日、サラエヴォで暗殺され、世界大戦が勃発する。
 ハプスブルグ帝国のルドルフ皇太子が、男爵令嬢、マリー・ヴェッセラと情死した事件は、当時、厳重に秘匿されていた。「病原不明の奇怪な急病」という表現に注意しよう。

 ルドルフ皇太子が、男爵令嬢、マリー・ヴェッセラと情死した事件が私たちに知られたのは、戦後になって、フランス映画、「うたかたの恋」が公開されたからだった。
 ハリウッド黄金期の大スター、シャルル・ボワイエと、当時フランス映画最高の美女だったダニエル・ダリューの主演。原作はクロード・アネ。