東京株式市場(’08.10.27.)で、「日経平均」が、一時、7486円を割り込んだ翌日、雑誌の「プレイボーイ」(日本版)が届いた。
「終刊前号」という。33年の歴史が、ここに終りを告げようとしている。
「プレイボーイ」(日本版)は、1975年5月、創刊された。43万8千部。全国の書店で、発売後、3時間で売り切れた。このため、2万2千部が増刷されたという。
この年、サイゴン陥落。ヴェトナム戦争が終わった。
金子 光晴、林 房雄が亡くなっている。
アメリカ、ソヴィエトの宇宙船がドッキング。
創刊号から、毎号、かならずアメリカン・ビューティー(プレイメイト)のヌードが掲載された。たしか、マリリン・モンローのヌードが、創刊号を飾ったのではなかったか。 そのほか、マドンナのヌード、シンデイ・クローフォードのヌード。
ナオミ・キャンベルのヌードなんか、「ハスラー」誌で見た黒人女優の性器ほどの衝撃もなかった。
ある日、植草 甚一さんが私に訊いた。
・・・中田さんは「プレイボーイ」を読みますか。
はい、目ぼしい記事はだいたい眼を通していますが。
・・・「プレイボーイ」がお好きなのですか。
別に、好きな雑誌というわけではありませんが。
植草 甚一さんは、私の顔を見ずに、
・・・私はきらいですね、ああいう雑誌。
それ以後、植草 甚一さんは二度と「プレイボーイ」のことを話題になさらなかった。
なぜ、植草さんは「プレイボーイ」がおきらいだったのだろうか。
植草さんが「プレイボーイ」がおきらいだった理由はわからないが、なんとなく納得できるような気がする。げんに、この「終刊前号」で「最もセクシーな世界の美女50人」という特集があって、アンジェリーナ・ジョリー以下、50人の美女たちが登場しているが、アジア系の箇所は、43位に、チャン・ツィイーが選ばれているにすぎない。
私はこういうセレクションにひそかな軽蔑をおぼえる。