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 長年知りたいと思っていながら、手がかりもないまま、とうとうわからずじまいになってしまう。そんなナゾの一つやふたつ、誰にもあるにちがいない。

 1812年、ナポレオンはついにモスクワから撤退した。このとき、おびただしい金塊をはじめ、貴重な宝石、骨董などを略奪した。これは間違いのない史実という。
 ところが、このロシアの財宝をどこに隠したのか。

 いくつかの通説がある。
 クトゥーゾフ麾下のロシア軍に追跡されたナポレオンは、この年11月2日、軍用の行嚢につめこんだ財宝を、スモレンスク近郊の小さな湖底に沈めて敗走した。

 その後、旧ソヴィエト時代(1967年)、ロシア帝国/外務省の未公開文書が発見されるまで、ナポレオンの秘宝はまったくナゾにつつまれたままだった。

 その古文書に、プロシャ帝国首相、エンゲルハルトが、プロシャ皇帝に贈った所感がある。(1815年10月21日付)。
 この手紙には・・・ロシア戦線から復員したフランス軍の士官ふたり(当然、フランス軍の最高級クラスの軍人と見てよい)が、エンゲルハルト邸に泊まり、エンゲルハルトと雑談したが、たまたま財宝隠匿の目撃談がとび出した。

 ふたりは、コブノ市(リトワニア/カプナス)郊外の、とある教会付近で、作業中のフランス砲兵部隊に出会った。そのとき、約80万フラン相当の秘宝の入った頑丈な木箱を地中に埋めたことを聞かされた、という。

 その後、1823年、生き残ったドイツの傭兵の証言にもとずいて・・・このとき埋められた(とされる)金塊、4樽を発掘する一隊が編成され、旧ミンスク(白ロシア)/ボリソフ市のベレジナ川の流域をくまなく調査した。このときは、何も発見できなかった。
 旧ソヴィエト時代、ナポレオンの秘宝は伝説化した。1939年から40年に書けて、大創作がおこなわれたが、このときも成果はなく、ヒトラー・ドイツの侵略によって、「大祖国戦争」に突入してゆく。

 財補遺の隠匿場所も、リトワニア/ビリニュス、白ロシア/ドロゴブージ、白ロシア/オルシア、ロシア/スモレンスクといったふうにわかれている。

 ナポレオンは敗走中、これらの秘宝をいくつもの行李に分散して、担当の士官に護送を命じたが、すさまじい飢えと寒さ、ロシア軍の追撃のなかで、士官から兵士、さらには外国の傭兵の手に移され、ついには遺棄されたり、ひそかに隠匿された。

 私は、トルストイの『戦争と平和』(マニュエル・コムロフ編)を訳したことがあって、「ナポレオンの秘宝」のことを知った。当時は、まったく関心もなかったが、ナポレオン個人の行嚢が、ロシア/ウェージマから39キロに位置するストカーチュエ湖に投げ込まれたという説を知った。当局が調査したはずだが、結果は知らない。

 小説を書くようになって、何かに使えるかも知れないと思ってノートしておいたが、けっきょく何の役にも立たなかった。
 今でも、ちょっと気になる。

 どなたかご存じの方がいらしたら教えて頂けないだろうか。