女の印象は、ほんのしばらくでも時間をおくと、まるで変わって見えることが多い。
とくに、少女が成熟した「おんな」になっている場合には。
敗戦後、アメリカ映画が公開されるようになった。最初に上映されたのは「春の序曲」と「キューリー夫人」の二本だった。もう、こんなことをおぼえている人もいないだろう。
「春の序曲」と「キューリー夫人」という選定にもアメリカ占領軍の占領政策が見えるのだが、戦時中は上映されなかったアメリカ映画が公開されるというだけで、戦後の日本に押し寄せてくる巨大な変化が実感できるようだった。
「春の序曲」はデイアナ・ダービン主演。私は、戦前、「オーケストラの少女」を見ていたので、デイアナ・ダービンがすっかり成熟した女性になっていることに驚いた。
映画のなかで大きなショートケーキが出てくるシーンがある。観客のどよめきが場内からわきあがった。戦後すぐのひどい食料難で、ショートケーキなど見たこともなかったし、誰もがケーキの大きさに度肝をぬかれた。(今なら、どこでも売っているやや大きめのサイズだった。)
「春の序曲」でデイアナ・ダービンがオペラのアリアを歌う。「オーケストラの少女」のダービンがすっかり成熟したシンガーになっていることに驚いた。
後年になって聞き直してみると、リリー・ポンス、ジャネット・マクドナルドといったハリウッド女優に比較して、けっしてすぐれてはいない。
このことは、デイアナ・ダービンが「オズの魔法使い」の最終段階で、ジュデイ・ガーランドに主役をゆずってハリウッド・ニンフェットから消えて行ったことをつよく思い出させる。
戦前、「オーケストラの少女」を見た室生 犀星が、当時の映画雑誌に、デイアナ・ダービンの舌の厚み、そのみずみずしい赤みを随筆に書いていた。少年の私は、この短い随筆に、犀星独特のまなざしを感じて驚いたが、戦後の「春の序曲」を見て、私はまるで女というもののあらたな発見がひそんでいるかのように、ケーキを口にはこぶデイアナ・ダービンの舌の厚みを見ていた。
ひょっとすると、私の「戦後」は、デイアナ・ダービンの舌から始まっているのかも。(笑)