かつて名人と呼ばれた歌舞伎役者に、中村仲蔵がいる。
はじめ、秀鶴といった頃は、芸も未熟で、俗にいうペイペイ役者だった。あるとき、並び大名で舞台に出たが、顔(メーク)は赤く隈どり、着ている衣裳は糊のきつい麻の素袍(すほう)。二日、三日と舞台をつとめれば、糊が落ちてシワが出る。
クタクタになって見ぐるしいのに、役者たちは、楽屋に入っても、付き人に衣裳をまかせっきり。たたみもせずに、衣裳棚にあげておいて、翌日も、そのままおなじ衣裳で舞台をつとめる。だから、ひどく見ぐるしかった。
秀鶴ひとりは、衣裳を人手にかけず、その衣裳を水のしする。(麻は汗を吸い込むので、脱いだあと水にさっとつける。そのうえでピンと渇かす。これを水熨斗という。)
きれいにたたむ。毎日、こういうふうに丁寧に始末しておく。翌日、その衣裳を着て舞台に出て、列座の役者たちとならぶと、ひときわすぐれて、りっぱに見え、いかにも上手らしく見えたので、観客の注目を浴びた。
そのため、劇場の経営者も眼をつけて、
「あいつには一器量がある。つぎの狂言(レパートリー)には、これこれの役が似つかわしい。その役に抜擢してみよう」
同輩の役者たちのなかから、秀鶴を起用すると、その役も相応につとめたので、次第しだいに、いい役をつとめるようになった。役者としての位もあがってくる。やがては名人といわれて、今にその名を残した。
天下に名を轟かす者は、初めより其の器量衆に超へたり、戯作も此の秀鶴(のちの仲蔵)が心懸(こころがけ)にて、常に心を用ゐ、一句一章たりとも疎かに書くまじきものなり、丁寧反復してつづまやかに筋の通る様に書きたけれ、画わりにも工夫を凝らすべきか
ということになる。
(つづまやかという表現は美しいが、死語になっている。)
仲蔵のアネクドートは、種彦の書いたものを私が忠実に訳したもの。