柳亭 種彦(1783~1842)が亡くなったのは、天保13年7月18日。享年、60歳。水野越前の天保の改革で死ぬことになった作家である。
辞世の句に、
散るものに さだまる秋の柳かな
おのれの死を見つめての作なので、軽々に批評すべきものではないが、
源氏の人々のうせ給ひしも大方秋なり
秋も秋 六十帖をなごりかな
この句のほうがずっといい。種彦の内面がつたわってくる。
種彦は「田舎源氏」が絶版を命じられた。いわゆる天保の改革で、この結果、作品は中絶し、作者は心痛のうちに死んだ。(ついでに書いておくが、私は歴代の江戸幕閣で水野越前守、その下僚どもをもっとも唾棄すべき連中と見ている。)
種彦については、あまりよく知らない。小林 秀雄が一度だけ種彦の名をあげたことがあって、小林 秀雄がとりあげている以上、ぜひ種彦ぐらいは読んでおこうと思った。
当然、『田舎源氏』は読んだほか、ほかには初期の怪談、『近世怪談霜夜星』とか『浅間嶽面影草紙』、『逢州執着譚』などを読んだ。出てくる登場人物がそろっていい加減で、出てきたと思うとあっという間に死んでしまったり、やたら偶然に出会ったりするのに辟易した。こういうご都合主義というか、偶然の頻発を見ると、江戸時代の作家が羨ましくなる。
『浮世形六枚屏風』は、英訳があるそうな。英訳をさがす気もないので、種彦の原作を読んでみたが、主人公がイヌをめがけて石を投げたとき、うっかり懐中にした百両を投げてしまう。途方にくれて、死ぬ気になった男が、腹いせに犬張り子に八つ当たりをする。なんと、そのなかから百両の包みがころがり出して、めでたしめでたし。
あまりのアホらしさにいささかあきれた。
それでも、種彦の創作観を知って興味をもった。
種彦は、名人といわれた俳優、中村仲蔵のエピソードにふれながら、
「後に上手と人に云はるる者は未熟なる初めより其の器あらはるるなり」という。
天下に名を轟かす者は、初めより其の器量衆に超へたり、戯作も此の秀鶴(のちの仲蔵)が心懸(こころがけ)にて、常に心を用ゐ、一句一章たりとも疎かに書くまじきものなり、丁寧反復してつづまやかに筋の通る様に書きたけれ、画わりにも工夫を凝らすべきか
これでわかるように、種彦の創作論は、平凡だが、かなりきびしいものだったといえるだろう。(仲蔵のエピソードは、あとで紹介する。)
ずっと後年の紅葉あたりまで、種彦の創作論は継承される。
「後に上手と人に云はるる者は未熟なる初めより其の器あらはるるなり」
たしかにそうだよ。谷崎 潤一郎、三島 由紀夫などの登場を見れば納得できる。
おなじことはたぶんほかのジャンルでも共通で、翻訳でも、お笑いでも、芝居の役者でも、「丁寧反復してつづまやかに筋の通る様に」見えないといけない。
「画わりにも工夫を凝らすべきか」という意見は、アニメーション、マンガ作家にそのまま聞かせてやりたいね。
これもついでに書いておくと、種彦のイラストは、はじめのうちこそ北斎、重政などだが、のちに圧倒的に国貞が多くなる。
作家とイラストレーターの幸運なめぐりあい。