俳優、ルイ・ジュヴェは、何かむずかしい問題にぶつかると、さっそく誰かれなく、その問題について知っていそうな人のところにとんで行ってお伺いを立てる。
むろん自分でも徹底的に考えるのだが、自分が到達したところと違う答えが聞けるかも知れない。ジュヴェはそう思うのだった。
ある日、劇作家のトリスタン・ベルナールに会いに行った。ベルナールのオフィスは、ひどく狭苦しい階段の上にあった。
ふたりが何を語りあったのか。残念ながら、私は知らない。
ベルナールは、フランスきっての喜劇作家なのである。ルイ・ジュヴェは、熱心なカトリックだった。
帰り際に、ジュヴェは大真面目な顔で、ベルナールにいった。
「先生、注意してくださいよ。この階段、二段ばかりカトリックじゃありませんよ」(つまり不信心でぐらぐらという意味だろう・中田注)
「ああ。だけど、おれだって違うからね」
後日、友人にこの話をしたジュヴェは、途中でたいへんなことに思い当たったように、気の毒なほどうろたえて、
「ひょっとして、劇作家先生、気をわるくしたんじゃないだろうか」
友人はにやりとして、
「まさか! そんなことで気をわるくするトリスタンじゃないさ」
「ああ、よかった! 安心したよ」
いまにも泣きそうな顔で、胸をなでおろすジュヴェを見ると、つい、いってやりたくなるのだった。
「まったく、ルイときたら・・つまらないことにこだわるからなあ」
このエピソードを私は評伝『ルイ・ジュヴェ』でつかわなかった。しかし、ジュヴェの「心配症」がよくわかる。
名優なのに、人づきあいが下手で、不器用で、他人からひどく剛腹な人間にみられて、いつも無用の誤解をうけていた男のかなしさ、おかしさが、こんなエピソードからもよくわかる。