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(つづき)
 国運をかけた戦争をしている最中に、こんなことがあっていいのか。眼がくらむような気がした。
 そういう考えのうしろには、私がまだまったく知らない女たちのなまぐさい生理の匂いをかぎあてたからではなかったか。若い娘たちは、戦争にまったく関係なく、ひそかに憧れている男の前で裸になって、自分の性器に男のペニスをうけいれたがっている。

 私は、そういう娘たちが灰田 勝彦に抱かれるところを想像した。少しも実感はなかった。中学生が、かりにそういう娘たちを相手にして何かが起こることを期待していたとは思わない。しかし、自分の知らない世界が、いきなり眼の前につきつけられたことにひどく狼狽したのだった。

 四谷は意外に起伏が多く、暑い日ざかりに自転車で郵便物を配達するのは、中学生にはきつかった。四谷見附から大木戸にかけての新宿通りはゆるやかな鞍部になっているが、北の荒木町、舟町、愛住町といった地域は、靖国通りに向かっての下り坂。
 東南は赤坂に向かっての谷。
 外苑からあがってくるのは、安珍坂。
 四谷の名前にふさわしい風景がひろがる。

 私は、四谷の町が好きになっていた。後年、『異聞霧隠才蔵』という時代ものを書いたとき、四谷の左門町あたりを思いうかべて書いた。
 左門町から信濃町に向かって行くと、お岩稲荷がある。後年、鶴屋南北の『東海道四谷怪談』を読みふけったのも、この頃、四谷を歩きまわったせいだろうと思う。

 それはそれとして・・・若い娘たちが、逢ったこともない男に裸身をさらして悔いない、と知ったときの驚きは、私の心のなかで、別のかたちで発展して行った。

 この驚きは、いまの私のエロティシズムの研究までつづいている。

 いまの私は・・・戦争にまったく関係なく、ひそかに憧れている男の前で裸身を投げ出そうとまで思いつめていた娘たちに感嘆する。むろん、論理的にうまく説明はできないのだが。
 彼女たちは戦争についても、自分のセックスについても、まったく言挙げしなかったが、逢ったこともない男に裸身をさらしてでも女としてのスポンタネ(生得的)な権利を主張していたような気がする。それを非難する権利は男にはない。