ある年の夏の日ざかり、中学生の私は、毎日、四谷区内を自転車で走りまわっていた。
勤労動員で、四谷の郵便局に配属された。全学年のうち、三年生が都内各地の郵便局にそれぞれ配属されて、私のクラスは、四谷の郵便局を担当したのだった。
私たちの作業は、その日に投函されたハガキを集めて、機械で消印を押す。封書は、台の上に並べて、片手で木槌のようなスタンプを打つ。簡単な作業で職員が手本をやってみせたが、中学生には半分の能率もスピードも出せなかった。
郵便物をあつかっていると、社会のさまざまな動きが眼に見えるようだったし、戦争についても、意外な事実が分かるのだった。私たちには、その存在さえ秘密にされていた戦艦「大和」の乗組員にあてた手紙があったり、中国大陸からの軍事郵便があったりして、漠然と戦況が想像できるのだった。
その郵便物を都区内、全国各県別にわける。当然、全国からも四谷あての郵便物が殺到してくる。四谷区内あての郵便物は、それぞれの町名でわけられて、50名ばかりの中学生が、赤い自転車に乗って配達する。
いまでいうArbeitだが、この配達は楽しいものだった。
新宿が管轄区域だった。
当時、歌手、映画スターとして、たいへんに人気の逢った灰田 勝彦が、新宿第一劇場に出ていた。
毎日、ファンレターが殺到してくる。午前の最初の集配で、ビリヤード台ほどの大きな台にうず高いファンレターの山ができる。
これを、仕分けるのも私たちの仕事で、新宿の劇場に届けるのは、局員の仕事だった。クラスのなかに不良少年がいて、そのファンレターを何通ももち出して、昼休みになると、仲間どうしで開封した。
私は外まわりの配達ばかりやらされていたので、その手紙を盗み読む機会はほとんどなかったが、不良どもが読みふけっているところに戻ってきて、肩ごしに何通か読んだ。
若い娘たちが書いた手紙というだけでも好奇心をそそるにじゅうぶんだったが、その手紙を読んで、ファンの心理を知った、というより、いきなり若い娘の生理を眼の前につきつけられたような気がした。
大部分は、純真なファンらしい手紙だったが、いい匂いのするレターペーパーに、口紅のキスマークをつけたものなどがあった。
そのなかに、やはり口紅で花か何かのプリントを押しつけたものがあった。しばらく見ているうちに、私はやっと理解したのだった。あえていえば、その美しさに茫然としたといってよい。
そのなかに、中学生の私の内面を震撼させた内容のものもあった。それは、灰田 勝彦に面会をもとめたり、処女をささげたい、といった露骨なもので、悪童たちを驚かせた。
娘たちは、こんなことばかり考えているのだろうか。
私はひどいショックをうけた。
(つづく)