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 この夏、テレビで北京オリンピックを見た以外は、英語の小説はたった1冊しか読まなかった。(むろん、未訳)。夏の一夜、暑気払いに、したしい友人たちと集まって、ビールを飲んだのも1回だけ。
 とにかく暑いので、せいぜい歌集、句集をひもとく程度。

    庭のままゆるゆるおふる夏草を分けてばかりに来む人もがな

 「庭のまま」は、庭のかたちのままに、という意味らしい。築山とか池とか、いろいろなきまりにしたがって作られた庭なのだろう。その庭が、いまは夏草がゆっくり、だがしどけなく伸びてきている。そのしげみを踏みわけて、私をおとずれる人はいないのだろうか。
 作者の和泉式部と、敦道親王の恋を重ねてみれば、夏の季節に、「ゆるゆるおふる」状態で萌える、女人のエロティックな内面、女人の生理までいきいきと感じられる。

    山をいでて暗き道にをたづね来し 今ひとたびの逢ふことにより

 この歌は、和泉式部にしては傑作ではないらしいが、私にはこの女性のやさしさ、おののき、よろこびが感じられる。と同時に、自分が歩いてきた山々の印象を勝手に重ねて、好きな歌のひとつにきめている。
 この一首、なぜか「暗き道にを」の助詞が異様に思われる。
 彼女の日記では、

    山を出でて暗き道にぞたどり来し今ひとたびの逢ふ事により

 となっている。「暗き道にぞ」という強調。「たづね来し」が「たどり来し」になっている。そして「今ひとたびの逢ふこと」と「今ひとたび」愛する人と「逢ふ事」のはげしい違い。

 私としては、「こんなに暑いと山へ行き度くなる」という思いがあって、前の歌のほうがいい。むろん、勝手な思い込みで読んで、勝手なことを連想しているにすぎない。
 山を下りて、長いルートをたどって夜になってしまった。東京に帰る夜行列車にぎりぎり間に合うかどうか。もし、遅れた場合は、駅の近くのとどかで一泊しなければならない。それでも、またいつかこの山に登れればと思いながら、疲れた足どりで暗い道を急いでいる。そんな自分の姿を重ねている。

 ごめんなさい、和泉式部さま。