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 小川 茂久と会うのはたいてい夜の9時過ぎで、お互いに黙ってキャンパスを出て、駿河台下に向かう。
 小川の行きつけの旗亭がいくつかあって、酒場なら「あくね」、居酒屋なら「弓月」ときまっていた。
 「あくね」には、いつも小川のご到来を待っている客がいた。おなじ明治大学の先生、職員たちばかりではなく、近くの中央大学の教授たち、あるいは本郷の東大の仏文の諸先生がた、「岩波」、「筑摩」といった出版社の編集者たちが小川の顔を見ると、いっせいにうきうきする。
 酒席の小川は、それほど人気があった。
 大人の風格があって、誰とでも気さくに話をする。話がおもしろくなってくると、ケッケッケッ、と笑う。この笑いが独特だったが、じつは、恩師にあたる佐藤 正彰先生の影響をうけて、こんな笑いかたが身についたようだった。

 小川とちがって、まったく社交的ではなかった私は、カウンターの隅っこに陣どって、店の女の子たちを相手に、なんとなく世間話でもしながら飲みしこるのが常だった。
 私は小川と飲んでいられれば幸福だったのだが、小川が紹介してくれた知人たちのなかでも、何人かの人とは心おきなく話ができるようになった。
 例えば、小野 二郎。
 私とは、まるで思想も教養も違う小野も酒豪だった。お互いに酔っぱらっているのだから、めいめい勝手なことをわめいているわけで、論理的にかみあわないことが多い。それでも、何かの論点についてはお互いに譲らなかった。
 小野 二郎が貸してくれたので、マルクーゼを読んだ。内容はむずかしかったが、なんとか読んで、つぎに「あくね」で会ったとき、マルクーゼについて小野君と論争になった。
 小川は、まったく口を挟まず傍観していたか、私はめったに論争することなどなかったから、ほんとうは心配していたのかも知れない。
 「あくね」や「弓月」のことも、そろそろ書き残しておこうか。