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 アレクサンドル・ソルジェニーツィンが亡くなった。(’08.8.3。日本時間では4日朝)死因は、心不全。享年、89歳。

 ソルジェニーツィンの作品はだいたい読んでいるはずだが、作家としての彼にそれほど関心はない。

 旧ソヴィエトの作家同盟の招待で、ロシアを旅行したことがある。ブレジネフの時代だった。
 ある日、モスクワで、若いロシア人と文学の話をした。まだ、『収容所群島』がロシアで公開されていなかった時期、つまりソルジェニーツィンは国禁の作家だった。
 お互いにたどたどしいイタリア語、フランス語で話をしたが、私は、たまたまアンドレイ・ベールイ、アレクサンドル・ブローク、はてはレーミゾフ、ブーニン、ザイツェフなどを話題にした。彼はびっくりしたようだった。
 私が名をあげた人々の作品は、当時のモスクワではほとんど入手できないのだった。闇の古本市のようなものがあって、読者たちがひそかに連絡しあう。物々交換のシステムだったらしい。十九世紀の作家、詩人のものはなかなか出ないし、出たとしても現代作家の本何冊かと交換で、やっと手に入れるという。

 若者は外国人(それも日本人)の私がソルジェニーツィンを読んでいることに驚いていた。
 彼は残念そうに、
 「きみはいいなあ、自由にソルジェニーツィンが読めて」
 といった。
 やがて、若者は雑踏のなかに消えて行った。あきらかに外国人とわかる私と話しているところを見られるのがいやだったらしい。ソヴィエト旅行にはそんな思い出がある。

 ソルジェニーツィンの死について別に感想はない。あとになって、たとえば、ソロヴィヨフ、ベルジャーエフなどの系譜につらなる思想家としてのソルジェニーツィンについて考えてみたいと思っている。
 新聞で訃報を読んだすぐに、わずかな蔵書のなかでソルジェニーツィンの本を探したが見つからない。まるで関係のないアルツィバーシェフを読み返した。

    大きな明るい月が、黒くてお粗末な物置のかげから顔をのぞかせた。はじめ、庭のたたずまいをうかがっていたが、どうやら別にこわいものもないと見たらしく、少しづつまろみをまして、ゆるやかに登りはじめた。黄色っぽくまんまるい、にこやかな顔で屋根に乗ったものである。
    庭のなかはたち皓々としらんだが、塀や物置の下には、かぐろくミステリアスな影ができた。夜気が涼しく、かろやかに、すがすがしくひろがる。暑くて、眼がくらむような夏の一日がやっと終わって、はじめて胸いっぱいに深呼吸できるといったようすである。

 ある短編のオープニング。有名なロシア文学者の訳を私が勝手に手を入れたもの。

 ソルジェニーツィンのことを考えるとき、すでにロシア人たちに忘れられているに違いない作家たち、たとえば、クープリン、アンドレーエフ、アルツィバーシェフ、ソログープたちのことを思い出すだろうと思う。
 ソルジェニーツィンについて考えるとき、私は、エイゼンシュタインや、ピリニャークや、ナターリア・ギンズブルグなどと重ねあわせて考えるだろう。

 私はそういうひねくれた読者なのだ。