「文芸家協会ニュース」を見て、6月6日に、作家の氷室 冴子、10日に作家の田畑 麦彦、映画解説者の水野 晴郎が亡くなったことを知った。
この方々が亡くなったことをまったく知らなかったので、ちょっと驚いた。それぞれの人の死に驚いたわけではなく、自分がしばらく何も知らずに過ごしていたことに気がついて驚いたのだった。
私は、作家の訃を知ったときは、できるだけその人の本を探して読むことにしている。追善の意味もあるのだが、面識はないにせよ、もの書きとしておなじ時代に生き得たことのありがたさを思うからである。
氷室 冴子という作家のものは読んだことがなかった。ぜひ読みたいと思って、本屋に行ったが見つからなかった。コバルト文庫、56冊、2千万部の人気作家だった。私は「コバルト文庫」で、S・E・ヒントンの3冊、青春小説のアンソロジーを1冊出しただけで、総部数は20万部そこそこだったから、私などとははじめから比較にならない。
氷室 冴子、享年、51歳。
私のクラスを出てから作家になった高野 裕美子も、同年で、今年亡くなっている。
そんな薄弱な理由もあって、氷室さんの作品も読んで見たかったのだか、見つからないのでは仕方がない。
田畑君とは面識もあった。
例えば「嬰ヘ短調」といったひどく前衛的な作品を書いていた。育ちのいい文学青年だったが、書くものは高踏的すぎて、私にはあまりよく理解できなかった。
彼の本も探すのはむずかしいだろう。ただ、私は彼から送られた本をもっていたので、読み返すことができた。
むずかし過ぎて、よく理解できなかったのはおなじだった。
水野 晴郎とは、テレビの映画番組で、二、三度、何かの映画について対談したことがある。テレビではない場所では、「紀伊国屋ホール」でマリリン・モンローのことで、対談した程度。
誰にも好かれるようなお人柄で、映画解説者として人気があった。
彼の著書も私はもっていなかった。探すのはやめて、DVDで、ジョルジュ・クルーゾーの「悪魔のような女」を見た。
たまたまシャロン・ストーンのリメークが、公開された時期で、水野 晴郎は、ハリウッド郊外で、クルーゾー映画の解説をしていた。
私の見た「悪魔のような女」は、なんとアメリカ版の吹き替えで、シモーヌ・シニョレも、ヴェラ・クルーゾーも、アメリカ語をしゃべっているのだった。映画も、なんとなくクルーゾーらしい、ネチっこさが消えている。
いちばん笑ったのは、子どもたち(私立学校の生徒たち)が、いともみごとなアメリカン・スラングをしゃべっていることだった。
監修者の水野 晴郎は何も気がつかなかったのだろう。