ここで私がとりあげる本は、『変愛小説集』(講談社)。
ある家庭の主婦。ある夏の午後、とても素敵な男の子が庭の芝生を刈りにきてくれる。彼女は、その男の子を追いかけて、キスをする。彼の舌を吸ったが、吸いかたが強すぎて彼が声をあげはじめても、ますます強く吸って、彼を呑み込んでしまう。
ジュリア・スラヴィンの「まる呑み」。
これは凄い!
私はこれまで、自分でもたくさん小説を読んできたが、こんなにおかしな短編を読んだことがない。私には、女という生理の外貌がはじめて私の内面にあたらしい姿をあらわしたのを見たような気がした。まさしく、ここには女の肉体の内側が語り、ときには泣き出したり、怒りを見せている。
なにしろ、呑み込んだ相手は、いくら追い出そうとしても居すわってしまうのだから。しかも、彼女は妊娠してしまう。
エロティックな行為をふくめてひとりの男と女の交渉が、あらゆる「恋愛」の基本をなしているとすれば、このおかしな短編の「愛」は、まさに「変愛」の現実的形態にほかならない。
私は、この短編を前にして、批評的な評価を絶した数瞬間をこころゆくまで彼女とともにすごした。思わず、笑い出したくなるのをこらえながら。
なんといっても岸本 佐知子の訳がすばらしい。
こういう作品をこれほどおもしろく訳せるのは、たいへんな才能だと思う。岸本 佐知子はエッセイストとして有名だが、彼女の翻訳にも、なんともいえない、トボけたおかしみ、それでいて、みごとに語学的なきらめきが輝いている。
私が『変愛小説集』の周辺をめぐって気ままに歩いてみたいといった理由は、これに尽きる。
『変愛小説集』については、また、あとでふれることにしよう。