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 過去の思い出などというものは、できることなら、ふり捨ててしまいたい。不実な女の思い出などは、いま思い出しただけでも、つらいばかりだし、女が去ってしまったあとの空虚な日々など、思い出したくもない。
 同時に、人生のなかでいちばん楽しかった思い出などというものも、どうにも始末に困るのである。たしかに楽しかったには違いないが、なぜ、あんなにも楽しかったのか、思い出せば思い出すほど不可解なものに見えてくる。
 因業なことにもの書きという職業には、何かを思い出すというのが、いちばん大切な職能の一つ。何かを書く。そのストーリーにぴったりの人物、情景、時間と空間などをたちどころに思い出す能力がないと、小説ひとつ書けない。そこで、私小説を最高の文学と思っているような連中の頭は、いつもそんな思い出がいっぱいつまっていて、重宝に思い出せるらしい。
 私は、私小説を最高の文学と思っていないので、過去に生きた自分の姿など、まったく信用してはいない。すぐれた作家たちは、自分の過去からそれぞれみごとに逃げつづけている連中にかぎられる。

 こんなことを書くのも、岸本 佐知子編訳の『変愛小説集』というアンソロジーを読んで、ひたすらおかしくて、それでいて、おそろしい短編ばかりなので、驚愕したからだった。