ヴォルテールが、イギリスの大劇作家、コングリーヴに会いに行った。演劇論を聞くつもりだったらしい。
コングリーヴはヴォルテールにむかって、私は劇作家というよりも紳士なのだ、と答えた。
ヴォルテールは、少し頭にきたらしい。
「あなたが紳士にすぎないというのなら、わざわざ訪問することもなかったのに」
と、いったという。
このエピソードは、サマセット・モームの『サミング・アップ』に出てくる。
モームはいう。
ヴォルテールは当代きっての頭の切れる人物だったが、ここでは理解力の不足をさらけ出している。コングリーヴの答えは、意味シンなものだったのだ。
というのは、喜劇作家が、コメデイという観点からまず考察すべき相手は、劇作家ご本人だってことを、コングリーヴがはっきり自覚していたという寸法なのだ。
わずかな引用では、あまりピンとこないかも知れない。しかし、これだけでも、私がモームの凄さに敬意をもっていることはわかってもらえるだろう。
モームは、もともと劇作家として知られていた。モームの戯曲は、今ではふるい作劇法にもとずいて書かれているが、おもしろさは少しも薄れていない。
どうすれば、いい芝居が書けるのか。
モームにいわせれば、「独特のコツが必要なのだ」という。
だが、この「コツ」はどういうものから成り立っているのか。誰にもわからない。しかも、「コツ」は習って身につくものではない、とか。
この「コツ」は、文学的な才能とはまったく無関係なのだ。げんに、高名な作家が芝居を書いてみじめに失敗した例が多いことからもそれはわかる。楽譜なしで演奏する才能のようなもので、とくに精神的に高級なものというわけでもない。しかし、これが身についていないと、どんなに深遠な哲学があっても、どんなに独創的なテーマを考えていようと、どんなに的確に登場人物が描けていても、芝居は書けない。
モームのいいかたはまるで不可知論だが、私はモームのことばのただしさを疑わない。ある時期まで芝居の演出を手がけてきたので、モームのいう通りだと思った。
それに、私あてに直接送られてきた外国人の(手書きの生原稿、タイプ原稿を含めて)戯曲や、じつにたくさんの創作戯曲を読んできた。そのほとんどは、芝居の「コツ」もわかっていないものばかりだった。
その結果、私は戯曲を書かなかった。芝居の「コツ」は、頭で理解できても現場で身につけないかぎり、どうにもならないものだと思ったからだった。
戯曲を書けなかったのは、はじめから才能がなかったからだが、モームのいいぶんがよくわかったからだった。
これだけでも、私がモームに敬意をもっている理由はわかってもらえるだろう。