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 先日、親しい女の子たちが、気のおけない話をしていた。
 どうしてそんな話題が出たのか、よくおぼえてもいないのだが、私が、サマセット・モームが好きだというと、翻訳家の成田 朱美(「愛がこわれるとき」など)が不思議そうな顔をした。

 え、先生は、モームがお好きなんですか。

 この反問には、私のほうがおどろいた。私がモームを好きだというのはそんなにおかしいことなのだろうか。
 私がアメリカの小説ばかり訳してきたので、私のクラスの女の子たちにとっては、意外な発言に響いたかもしれない。
 私とモームの違いはじつに簡単に要約できる。モームは一流の大作家だったが、私はせいぜい四流か五流、しがないもの書きにすぎない。最初から比較にならないことを棚にあげていうのだが、モームのようなみごとな才能に恵まれなかった私は、なおかつモームに親近感をもって生きてきたような気がする。

 モームがたいへんな読書家だったことはいうまでもない。特に、哲学者のものをよく読んでいる。私は、モームがスピノザ、バークリー、ヒュームなどを、らくに読みこなしていることに驚嘆した。私は、鈴木 大拙、西田 幾太郎、和辻 哲郎などを、らくに読みこなしてきたことはない。

 「私は若い頃にたくさん本を読んだが、自分のためになると思ったからではなく、好奇心と向学心からだった」とモームはいう。
 私も、けっこうたくさん本を読んだが、ひたすら好奇心のせいだった。ほんとうはいくら読んでもよくわからなかったというのが、実情だったのだろう。

 「旅行も、おもしろいのと、作家としての資料収集に役立てるためだった」という。

 私はあまり旅行をしなかった。暇もなかったし、旅行の費用も捻出できなかった。だから、作家としての資料収集の旅行など考えもしなかった。それでも、わずかな旅行の経験が、自分に大きな影響をおよぼしたと思っている。

 モームが南海を旅行して、はじめて書いた短編は『雨』だったが、最初にもち込んだどの出版社でも断られた、という。
 モームほどの作家でも、そういう屈辱に耐えてきたと思うと、私などは出版社に原稿をもち込む気になれない。実際、出版社に原稿をもち込んだことはない。べつに気位が高かったからではない。断られるとわかっていて、原稿をもち込み、実際につき返されたときの屈辱には耐えられないと想像したからだった。

 いずれにせよ、私はモームが好きなのだ。