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(つづき)
 このとき、椎野 英之は、私にシナリオを見せてくれた。はじめてアメリカ映画のシナリオ作法にふれて私は驚嘆した。私は「東宝」で、シノブシスを書いたり、ほかのライターの書いたシナリオのセリフを書き直すダイアローグ・ライターといった仕事をしていたので、このシナリオ作法には大きな刺激をうけた。

 この映画でヒロインを演じる女優に新人が選ばれた。日劇ダンシング・チーム出身。根岸 明美。キワモノ映画だったし、内容がエロティックなものだったので、当時、有望だった新人女優を使うわけにはいかなかったのだろう。
 その根岸 明美が、つい最近、亡くなった。(’08.3.11.)73歳。
 黒沢 明の「どん底」、「赤ひげ」などに出ているが、女優として大成したとはいえない女優さんだった。

 芸術家は、自分ではどうしようもない非運にさらされることがある。

 映画女優、根岸 明美は、スタンバーグの「アナタハン」出演で、大きなチャンスをつかんだ。映画としては駄作だったが、根岸 明美は強烈な魅力を感じさせた。当時のスターレットとしてはめずらしいほど恵まれた肉体や、エロティックなマスクをもっていた女優だった。
 1953年(昭和28年)に、谷口 千吉の映画、「赤線基地」に起用された。この映画では、まだ、十七歳の新人だった根岸 明美は、アバズレのパンパンガールの役で、外地から帰国した素朴な青年(三国 連太郎)を相手に、エロティックな演技を披露した。むろん、今見ればエロティックでも何でもない映画の一つ。
 ところが、この映画は、アメリカ軍基地の周辺にむらがるパンパンガールを描いていたため、反米的な映画と見られて、九月の公開をめぐって論議が起こり、当時の小林社長の裁断で公開が中止された。
 映画監督、谷口 千吉はこれで挫折した。そして、女優、根岸 明美の魅力を生かした映画は作られなかった。「どん底」や「赤ひげ」などに出たといっても、黒沢 明は、いい女優を育てるようなタイプの監督ではない。たとえば、中北 千枝子を見ればわかるだろう。「どん底」や「赤ひげ」などは女優としての根岸 明美の可能性をひろげたものではなかった。

 根岸 明美の訃報が出た日に、歌手の沢村 美司子が亡くなっている。沖縄出身。66歳。戦後、マーロン・ブランドが日本人を演じた映画、「八月十五夜の茶屋」(57年)に出た。

 この日、なぜか「めっちゃくたばりそう」な気がした。