友人の椎野 英之は戦後すぐに「時事新報」に入社したが、やがて、「東宝」に移って、製作の仕事をするようになった。
ある日、私をつかまえて、スタンバーグ(映画監督)を知っているか、と訊いた。
椎野 英之はあまり知らないようだった。私は「モロッコ」を見ていたので、スタンバーグがディートリヒを撮った映画について話してやった。
数日後、びっくりするようなことを教えてくれた。
「スタンバーグが、日本で映画を撮りたいっていってきたらしい」
スタンバーグが「東宝」で映画を撮る可能性を打診してきた。このニュースに私は驚いた。
ジョゼフ・フォン・スタンバーグは、私たちには「モロッコ」だけで知られていたが、映画が無声からトーキーに転換した時期、すでに映画界を去っていた。はっきりいえば、過去の名声だけを身にまとった最後の巨匠、あるいはラテだった。
戦後、イギリスの女優、アン・トッドを使って、「超音速ジェット機」を撮ったが、演出にまるで切れがなく興行的にも失敗した。
スタンバーグが「東宝」で映画を撮るという。おそらく映画監督としての再起をかけた仕事になる。
この交渉には、東宝側は重役の岸 松雄、「東和」の川喜多 長政などがあたったのだろうと思う。ただし、おそらく記録はない。
スタンバーグが日本で撮った映画は「アナタハン」という。
南方戦線の孤島で、敗残の日本兵十数名のなかに、沖縄出身の女性がひとり、という実話にもとずいたものだった。
スタンバーグの映画監督復活を期待したが、残念なことにこの映画はほとんど問題にならなかった。
(つづく)