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 教育は、それぞれの国によって違う。
 たとえば、十九世紀ドイツでは、いわゆる良家の子弟を大学に進学させるアカデミックな教育が必要と考えられていた。しかし、小学校とそれにつづくギムナジウムの8年間は、ある人々にとっては、けっしてバラ色のものではなかった。
 ステファン・ツヴァイクの回想、『昨日の世界』を読んだ人は、十九世紀の教育がどんなに陰惨なものだったかを知らされる。

 ツヴァイクについて説明する必要はない。私は、若い頃、ツヴァイクの評伝、『ジョゼフ・フーシェ』や、『マリア・ステュアート』、『バルザック』を読んだことから、のちに『ルクレツィア・ボルジア』や、『メディチ家の人びと』といった評伝を書こうと思った。その意味で、私がもっとも敬愛する作家のひとり。
 そのツヴァイクが断言している。

    私のすべての学校生活は、正直にいって、たえず退屈きわまる倦怠以外の何ものでもなかった」と。

 ツヴァイクにとって、学校とは何だったか。

    学校とは、私たちにとっては強制であり、荒涼たる場所であり、退屈なところ、「知るにあたいしないものの勉強」をことこまかに別れた科目別に習得しなければならない、しかも実際的な関心や、おのおのの関心とは何の関係もない場所だった。

 あれほど博識をもって知られている作家が、学校教育に対して、これほど否定的な姿勢をとっている。それも、ただの否定ではない。「もっとも美しく、もっとも自由であるべき生涯の一時期を、徹底的におもしろくないものにした、あの単調で、無慈悲で、活気のない学校生活で、一度たりとも、愉快だったとか、幸福だったりしたことは思いだせない」という。
    (つづく)