(つづき)
戦後、私がいちばん多く読んだのはイギリスの戯曲だった。理由は簡単で、神保町の洋書専門の古書店では、たいていイギリスの戯曲が棚ざらしになっていた。誰も読まないらしい。
英語を勉強する気で戯曲をあさった。なにしろ値段が安かったから。おかげで、戦前のノエル・カワードはほとんど全部読んだ。戦後すぐに、アメリカの民間情報局が日比谷にライブラリーを開設したが、つづいてイギリス占領軍もおなじようなライブラリーを作った。私はこの図書館に通ってはイギリスの演劇雑誌を読みふけった。
はるか後年、私は映画批評を書くようになった。
試写室で会う先輩の映画批評家たちに挨拶した。植草 甚一さんと親しくなって、いろいろ話をうかがうことも多かった。
飯島さんにおめにかかって、いつも挨拶するようになった。
戦争中に、先生の講義を聞いたとつたえると、飯島 正は驚いたような顔をした。まさか、当時の学生のなかから、もの書きになったやつがいるとは思ってもみなかったのだろう。