横浜、「KAORI」のクッキーは、世界じゅうどこの外国に出しても遜色のない高級品だが、これを召し上がりながら、野木 京子の詩を読む。おいしい。
ついでに、英語の詩。テニソン、ワーズワースから、ボブ・ディランまで。ただし、英語の詩を読むといっても、一編だけ読むのだから詩の鑑賞などというものではない。
つまみ食い。
Innocent was she,
Innocent was I,
Too simple (were) we!
こんな詩句を見つけるとうれしくなる。というより、ニヤニヤしたくなる。これが、ハーデイの作。
ハーデイについては、いつか別に考えることにしよう。
ついでに、アメリカの女流詩人を。
ガートルード・ルイーズ・チェニーの詩。どういう詩人なのか知らない。
All people made alike,
They are made of bone.flesh and dinner
Only the dinners are different.
そりゃあ、そうだよネ。ガートルードさん。
彼女の詩とは関係なく、別のことを考える。ものを食べるという行為は、人間のあらゆる行為のなかで、いちばん即物的なものだ。ところが、世間には、食通という人々がいて、「美味」という観念を頭につめ込む。
グルメなどと称する連中は、ものを食べるという行為をはたしてどこまで徹底して考えているのか。
おカキをかじりながらミルトンなんか読む。ほんの数行。
けっこういい気分になる。
カキのタネなら、詩よりもチョーサーだな。バリバリ音を立てて食べよう。
チョーサーは「ことばは行動のいとこでなければならぬ」といった。なんとなく、カキのタネを食べたくなる。(笑)