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ある時期、芝居の世界にかかわった私にとって、大きな衝撃になったできごとがいくつかあった。
 その一つは、戦後すぐに登場した新人女優、堀 阿佐子の自殺であった。

 彼女は、「文学座」の研究生として出発したが、やがて「俳優座」に移った。当時、新人として注目されたのは、「文学座」の荒木 道子、丹阿弥 谷津子、「俳優座」の楠田 薫、東 恵美子、「民芸」の阿里 道子といったいろいろな女優がいっせいに開花したような印象があった。いずれも、「当今、一流の「新劇女優」たるに恥ぢない技倆が認め」られたといえよう。その中で、堀 阿佐子はトップをきっていた。当時の劇作家は、この新人に注目していた。

 「東宝」本社前、日比谷映画劇場の左奥にへばりついているように喫茶店があった。ここには、「東宝」関係の俳優、女優がいつも立ち寄っていたが、「東宝」で仕事をするようになっていた私も、しょっちゅうここに入りびたっていた。
 ある日、ここに若い女優さんがあらわれた。戦後すぐに登場した映画女優の、派手なメークの、めざましい美貌とはちがって、むしろおとなしい日本的なおもざしだった。ところが、身のこなし、動き、ひいては挙措に、ふつうの映画女優と違った存在感があって、店に入ってきただけで、あたりの空気が一変するようだった。
 ただのスターレットではない。その場に居あわせた誰もがそう感じたに違いない。「東宝」関係の女優ではないと見て、いっせいに視線が集まった。そのなかを、ごく自然な足どりで、彼女は私たちの席に寄ってきた。
 今ふうにいえば、オーラがまつわりついている。そんな感じだった。
 はじめて私が見た堀 阿佐子だった。

 それから数カ月後に彼女は自殺した。

 どういう人の自殺も悲劇的にちがいないが、堀 阿佐子の死は、敗戦後の混乱のなか、演劇界の大きなうねりのなかで起きた。当時の演劇界は、今と違って狭い世界だっただけに、誰の胸にも驚きといたましさを喚び起したと思われる。
 堀 阿佐子のデビューが鮮烈なものだっただけに、一部からは嫉視や羨望の眼で見られていたことは間違いない。
 堀 阿佐子の自殺からそれほど経っていない時期に、劇作家、内村 直也は、劇団の幹部女優にむかって、堀 阿佐子の死を悼むことばを述べた。この女優はその劇団を代表する有名な女優である。たまたま私は、その場に居合わせたので、このときのことはよく知っている。

 その女優は、蔑むような一瞥というか、冷然たるまなざしを内村さんに向けただけで、何も答えなかった。内村さんはすぐに別の話題に移ったが、この女優は、私にまでぎらりと突き刺すような一瞥をむけた。
 このときのことは忘れない。
 あの反応は何だったのだろう? その女優の見せた反応から劇団内部の大きな衝撃を感じたのだった。

 あとになって、内村 直也は私にむかって、
 「ああいうこと(おなじ劇団の女優の不慮の死)になると、冷たいものだねえ」
 と、私に語った。

 もっとずっとあとになって、堀 阿佐子が死を選んだ理由をほぼつきとめたが、ここに書く必要はない。ただ、こういう些細な経験がいくつもあって、のちに演劇人の評伝を書く動機の一つになった。