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 つまらない映画を見て、ああ、つまらなかった、というのが趣味。われながら、つまらんぼうである。

 では、どういうふうに、つまらないものをつまらないと見るのか。

 たとえば、アリッサ・ミラーノ。嫌いな女優さんではなかった。歌だって嫌いではなかった。今だってCDをもっている。
 「娘役」(ジュンヌ・プルミエール)として、そろそろ通用しなくなってきたアリッサが、人気が落ち目。そうなると、人気を回復するために出る映画のジャンルもだいたいきまってくる。
 「ポイズン・ボディ」というC級ソフトコア。よくいえば、お色気サスペンス。アリッサ・ミラーノ初ヌード。

 もうストーリーだっておぼえていない。女子修道院で起きる連続殺人。若い修道女たちが裸になってからみあう。若くて綺麗な尼僧のアリッサ・ミラーノだって、裸にひん剥かれて縛られてしまうのだから、期待は裏切られない。
 ところが、殺人連鎖に立ちむかう綺麗な尼僧がじつは探偵で、サスペンスとして見てもいいのだが、これかなんともアホらしい作り。
 せっかく、拝んだアリッサ・ミラーノ初ヌードのありがたみも消えてしまった。

 これほど、つまらない映画になると、試写室を出た瞬間に、出演者も、ストーリーも、まして監督の名前も忘れてしまう。だから、暇つぶしに見ただけで、こちらの精神衛生にはいちばんいい。

 この映画が、女子修道院をフル・ショットでとらえる。さあ、こわくなるんだよ、という演出。これは「悪魔の棲む家」だなあ。殺されそうになる少女が必死に森のなかを逃げる。これは「サスペリア」だぜ。若い女の子が殺されるシーンは、「13日の金曜日」だね。いよいよクライマックスの儀式に、むごたらしい死体がズラリと勢ぞろいさせられる。おやおや、「誕生日はもうこない」かヨ。

 つまり、「ポイズン・ボディ」は、70年代から80年代にかけて流行したホラー映画が、90年代に突然変移的に出現したものと見ていい。お色気サスペンスとしてはB級。ミステリーとしてはC級。ホラーとしてはD級。
 「ポイズン・ボディ」とおなじ時期に、香港映画「香港犯罪ファイル」(「沈黙的姑娘」)というスリラーを見た。金城 武、アニタ・ユンが出ている。
 この映画もミステリーとしては見おわったあと、すぐに忘れるようなC級映画。しかし、アニタ・ユンのファンとしては見逃すわけにはいかなかった。

 アリッサ・ミラーノも、アニタ・ユンも、もう消えてしまった。それでも、「ポイズン・ボディ」のアリッサが美しい裸身をさらしながら、迫りくる犯人の魔手から逃げようとして身もだえていた。
 「沈黙的姑娘」のアニタは、「金玉満堂」や「金枝玉葉」とはちがった、みずみずしさを見せていた。

 つまらない映画を見て、ああ、つまらなかった、というのが趣味。試写室を出た瞬間に、その映画を見たことさえ忘れてしまうのだが、ずっとたって、(だれひとり、そんな映画があったことも知らない時期に)、なぜ、ああいうつまらない映画が作られたのか、と考えるのが楽しい。悪趣味かも知れないけれど。