(つづき)
レックスと、リリーのあいだに男の子が生まれる。ケァリー。この子は、イギリスで教育を受ける。
「私が受けられなかった教育を受けさせたかった」と、レックスは語っている。
だが、この幸福な時期は、不意に暗雲に閉ざされる。理由は想像がつく。レックスとリリーの仲がみるみるうちに悪化してゆく。
「はっきり直視すべきよ」
とリリーはいう。
「イギリスの男は、女が好きじゃないのよ。少なくとも、イタリアやフランスの男の女好きみたいにはいかないのね。イギリスの男は、まともに女を見やしない。レックスが、私に対して払ってくれた最大の敬意は、私といっしょにいると、友だちといっしょにいるような気がするんですって。あの人って、おとこのなかの男ってコト。つまり、イギリスの男なのよ」
なかなか辛辣な意見だった。
レックスは、リリーと離婚したあと、イギリスの女優、ケイ・ケンドールと親しくなる。当時、ケイは彗星のようにブロードウェイに登場していた。『ジュヌヴィエーヴ』がデビュー作。5フィート8の長身で、もともとミュージック・ホールの芸人一家の育ち。ステージ・ダンサーだっただけに、優美な身のこなし、リリーとおなじ典型的なイギリス美人。
その後のレックス、リリー、ケイについては、もはや演劇辞典の記述にまかせよう。
1956年、私は小さな劇団を率いて、悪戦苦闘していた。
外国の演劇雑誌を手あたり次第に読んでいたので、実際には見たこともない外国の俳優、女優の消息、それもロマンスまで、ことこまかに知っていた。
いまの私には、信じられないことだが。
『一千日のアン』も発表されてすぐに読んだが、詩劇。背景はエリザベス朝、史劇なので、はじめから上演を考えるはずもなかった。ただ、「現代演劇講座」(河出書房)で、私はマックスウェル・アンダースンを紹介した。
ジョン・ヴァン・ドルーテンは、上演を考えた。これも夢物語で実現しなかった。はるか後年、私のクラスで、ドルーテンの芝居を読んだことがある。
私の仕事は外から見るとまるでバラバラに見えるらしい。しかし、私自身には、どれもこれもみんなスジが通っていて、何かのキッカケがあって、そこからバラバラにいろいろな根が出ている。細い地下根がひっそりとのびて、のびて、どこまでものびて行って、いつの間にか、おかしな実をつける。へんてこな実しかつかなくても誰にも文句はいえない。そんなものなのだ。