このところ、暇を見ては、芭蕉や、その周辺の俳人を読み直している。何を書くわけでもない(書けるはずもないが)。ただ、楽しみのために読む。
芭蕉が談林から出発したことはよく知られている。
それまでの貞徳が代表する古風の俳諧が衰えて、宗旦、鬼貫を中心とする伊丹ふうの俳諧が起きる。その程度のことは私も知っている。
そこで、宗旦に眼を向ける。
宗旦、性はなはだ酒を愛し、しばしば門人をあつめ、老荘の書を読み、長明、兼好の文を説く。延宝二年(1674年)、京都から伊丹に移った。元禄にかけて、伊丹にいた俳人は、じつに77人の多きにおよんでいる。そのなかに鬼貫がいた。
こいこいといえど蛍が飛んで行く
鬼貫、八歳の作。
今の私は別に感心はしないけれど、それでも鬼貫の才気のあらわれを見る。
宗旦が伊丹に移った延宝二年、宗旦、38歳。鬼貫、14歳。二年後の鬼貫はどうなったか。
かくて十六歳の比(ころ)より、梅翁老人の風流花ややかに心うつりて又其当風をいひ習ひ、猶其のりをもこえ侍(はべ)りて、文字あまり、文字たらず、或は寓言、或は異形、さまざまいひちらせし比(ころ)……
伊丹の俳人は、先輩の宗旦が談林ふうの新風に転向したらしい。そこで、鬼貫をはじめ、木兵、百丸、鉄幽などが、いっせいに談林化してしまう。
こういう雪崩現象は昔も今も変わらない。
(つづく)