ジュリエット・ビノッシュ。好きな女優のひとり。たいていのハリウッド女優より、ずっとずっとすばらしい女優。
父親は彫刻家で、俳優。母親が女優。こういう経歴は、かなり特別に見えるのだが、フランスの女優ならさしてめずらしくもない。1964年、パリ生まれ。
この女優さんの発想というか、考えかたがおもしろい。
絵を見て泣き出したことが何度もあるという。
ロンドンにいた頃、お金が全然なかったけれど、国立美術館にはかなり通ったわ。一日に、展示室を一つづつ見ることにしてた。展示室に行くたびに、前に見たものを全部、頭のなかで思いうかべる。4日目か5日目に、新しい展示室に入ったの。とたんに、ガツンとくるようなショックを受けたわ。まるでもう息ができなくなって。
ピエロ・デッラ・フランチェスカの絵があったの。
涙がどんどん流れてきて、もうとまらないのよ。
「とくに好きな絵がありますか」と訊かれて、
ううん、特にってこと、ないわ。すごく美しくて、すごく心を打つ絵はたくさんあるけど。
でも、よく思うの。絵にサインがなければいいのにって。作品に名前なんかなければいいのに。誰が作ったかなんて、知る必要ないじゃない。名前で評価がきまっちゃったりする。でも、わたしにとって大切なのは、最初からそこにあるものなのよ。
自然は、最初から与えられているわ。空は、わたしたちに与えられている。だけど、自然にはサインなんかないわ。空にはサインしてないでしょ。
私はこういうジュリエットが好きなのだ。
(つづく)