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 ある古書店が廃業した。

 四街道には、一時期、友人の竹内 紀吉が住んでいた。私の住んでいる土地から、ローカル線で3駅。よく駅前で、酒を酌み交わしたものだった。その古書店も、そんなことから立ち寄るようになった。
 廃業すると知って、一度、本を見に行った。

 その週の日曜日にもう一度行ってみた。正午なのに、扉が閉まっていた。さては昨日いっぱいで閉店したのか。

 この古書店からずっと先に、こども向けのゲーム、CD、ビデオ、DVD、奥にアダルト・ビデオなどを並べた店がある。ここに行ってみた。むろん、買いたいものもない。

 しばらくして駅前に戻った。
 もう一度、「古本屋」の前に出た。
 おや、照明がついている。誰かいるのだろうか。

 中年のオバサンが、高校生らしい息子と、店の本を片づけているのだった。私は店内に入った。オバサンが私をみて、
 「もう、閉店しました」という。
 「いや、買いたい本があるので寄ってみただけ。見てもいいですか」
 オバサンは私を、別にあやしい者ではないと見たらしい。
 「どうぞ」
 といってくれた。

 見当をつけておいた棚に寄って行く。しかし、私が見つけた本はなかった。へえ。あんな本を買うやつがいるのか。
 仕方がない。何が別の本を買うことにしよう。
 「古語辞典」と、ある作家の小説を手にとった。

 「おさがしの本はありましたか」
 オバサンが訊いた。
 「いや、なくなっていました」
 自分の探していた本が買えなかったことが、急に残念な気がした。なぜ、買っておかなかったのか。
 「そのかわり、これをください」
 オバサンが、その本を手にとった。ちょっと見ていたが、
 「この本、もって行ってください。さしあげます」

 私は驚いた。
 「いや、いいですよ、お金は払いますから」
 「いいんですよ、さしあげますから、もって帰ってください」

 けっきょく、タダでもらうことになってしまった。
 オバサンは、私が日曜日にわざわざ閉店の店にやってくるほどの本好きと見たのだろうか。それとも、本をさがしているという口実で、何か記念に本を買っておこうとやってきたと思ったのか。

 オバサンの親切がうれしかった。タダで本をせしめた申しわけなさ、うしろめたさはあったが、まだ日本人の人情が残っているようで、いい気分だった。