酒を飲みしこる。
今どき、こんなことばを使う人はいない。私はわざと使う。ただし、エッセイで「酒を飲みしこる」と書くと、かならず「酒を飲みしきる」と書き直される。校正者がわざわざ訂正するらしい。
「酒を飲みしこる」と、「酒を飲みしきる」は、おなじではない。校正者はおそらく、「しきりに」という副詞を連想するのだろう。しきりに酒を飲む。いかにも三文文士のイメージにぴったりかも。
しかし、私は「酒を飲みしきる」とはいわない。断じて。
「しこる」は、筋肉が張って固くなるしこりとおなじ。「酒を飲みしこる」となれば、ひたすら酒を飲むことであって、しきりに酒を飲むなどという、まあ、太平楽なものではない。
酒を飲まずにいられない。たとえば、女にふられて、やりどない思いをまぎらすために酒を飲む。まあ、そういった気分のものである。
こういう気分は、あうさきるさ、という。この「あうさきるさ」もいいことば。
良寛さんの歌でおぼえた。
むらぎもの心をやらむ 方ぞなき あうさきるさに 思ひみだれて
むらぎもの、は、心のまくらことば。
私流の訳で申しわけないが・・・こうして生きていると、あらぬことが心をかすめる。あれこれと心はみだれるばかり。
良寛さんよりずっと前に、兼好さんが、切ない恋に、あうさきるさに思ひみだれて、眠れぬ夜を過ごすような男のあわれの深さをお書きになっている。
私が、うっかり酒を飲みしこるのは、兼好さんのいう、切ない恋にあうさきるさに思ひみだれるからだったし、また、良寛さんのいう、むらぎもの心をやらむ方もないからであった。
こうしたニュアンスを帯びたことばを、「酒を飲みしきる」などと校正で直されるのはうれしくない。だから、もう書かないことにしよう。