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「中田耕治ドットコム」のアクセス数が、3万に達した。

 はじめてHPに原稿を発表したときには、予想もしなかった数字である。そもそも、こんな個人的なHPを読んでくれる人はいないだろうと思っていた。読んでくれる人がいたとしても、ごく少数の知人たちが、最近の中田耕治は何を考えているのだろうと興味をもって、アクセスする程度だろう。
 それでも、ありがたいと思っている。
 わずかな読者を相手でも、自分の現在をつたえる、それは作家としてよろこびではないか。

 昨年亡くなった友人、亀忠夫は、私が彼の句集の感想を書いたとき、はじめて、このHPを知って「毎日のように、こういう文章を書いているエネルギーにおどろいている」と書いてきた。

 こんなものでも毎日書きつづけていると、それなりに傾向、方向性といったものが見えてくるはずだが、いろいろな時期に、まるで勝手なことを書きつづけているにすぎない。
 心にうかぶよしなしごとを気ままに書く。さして苦労ではない。文章を書くエネルギーどころか、毎回々々、出たとこ勝負のようなものなのだ。
 毎回、何かの視点をきめて書く、ないしは、意識して書くというわけでもない。私の内部に、ある程度の傾向、バイアスといったものがあって、それが思わず知らず出てくる、それはあるだろう。

 今は、ブックレヴューもさかんだし、読書ブログだって、いくらでもある。そんななかで、私は人があまり書きそうもないことを書く。
 ネットで探しても、めったにぶつからないこと、もう、あまり知られていないようなことを書く。思い出したときに書いておかないと、すぐ忘れてしまうので(笑)。

 たとえば、「パルプ・フィクション」や「マルコヴィッチの穴」については書いてみたい。その頃、何も書かなかったから。ただし、これももうよくおぼえていないのだから、うまく思い出せるかどうか(笑)。

「パッチギ!」の監督の「指あそび」を思い出す。山本 晋也を見ながら、きみの「好色透明人間・女湯のぞき」だっておぼえている、とつぶやく。
 思い出したからといって書くつもりはない(笑)。

 私は、あくまで自分が関心をもつことを書こうと思う。自分が関心をもつことを書いて、関心のない人に読んでいただく。そのために、できれば短く、おもしろく書く。

 これが「中田耕治ドットコム」のベーシックなのである。