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 ときどき昔の名優たちを思い出す。

 たとえば、『悪魔と神』(サルトル)の「ゲッツ」をやった尾上 松緑。戦後のサルトルへの関心から見たのだが、ほんとうは、戦後、ルイ・ジュヴェが演出した戯曲なので見に行ったのだった。日本ではジュヴェの演出が失敗したという評判だけがつたえられていた。もし失敗したとすればどういう理由によるものなのか。失敗はどこの部分においてだったのか。
 ジュヴェは、その後まもなく亡くなっている。ジュヴェの芝居を見るわけにはいかない。だから、日生劇場に行くことになった。(1965年だったか。)
 松緑の芝居は、戦前、前後と、とびとびながら見てきた。松本 豊の頃から、母がひいきにしていたせいで、戦前からこの俳優のことは知っていた。父の幸四郎から菊五郎(六代目)にあずけられたためか、うまい役者、将来性のある役者と聞かされてきた。
 松緑になりたての頃、不人情な役者という評判が立っていたときでも、私の母は松緑を褒めていた。若手のなかでも、「船弁慶」の「静御前」や、「南郷力丸」などがすばらしい、といっていた。
 私は松緑も好きだったが、兄の染五郎(のちの幸四郎)も好きだった。

 戦後、しばらく歌舞伎を見なかったので、久しぶりに、「ゲッツ」の松緑を見て驚嘆した。むろん、松緑の芝居をいくらかでも継続的に見てきたせいで、こういう驚きがやってきたのだろうと思う。「ヒルダ」をやった渡辺 美佐子が可憐に見えたぐらいで、ほかの(劇団「四季」の)俳優たちの存在までがかすんでしまった。

 ずっと後年、福田 恆存の『明智光秀』で幸四郎を見た。このときの幸四郎もすばらしかった。
 私は幸四郎、松緑によって名優のもつ力の凄さを知らされたような気がする。