私の読書遍歴。
いろいろなものを読んできた。残念ながら、こちらに基本的な理解力がないために(つまり、頭がわるいせいで)、読んでもほんとうに理解できないことが多い。残念だが、もうとり返しがつかない。
「文学講座」をはじめたのも、自分の知識がどうにもあやふやで、あらためて勉強してみたかったからである。
学生の頃、たとえばモンテスキューの『法の精神』を読んだ。当時の私に理解できたはずもないが、モンテスキューの明晰な思考が、私にとっては一つの目標になった。
ローマの共和政治に関して、いくらかでもはっきりした考えをもつことができたのは、イタリアの著作家たちよりも、むしろ『法の精神』を読んだおかげだった。祖国愛とか、平等といった観念が、政治的な徳性とむすびついたものであることも、モンテスキューからまなんだことの一つ。
スタンダールに対する尊敬と、ヴァレリー(とくに『ダ・ヴィンチ』。これは、ある日、野間 宏からもらった)と、モンテスキューへの関心が、私をルネサンスに向かわせたような気がする。今になって、なんとなくそんな気がするだけのことだが。
ただし、モンテスキューからすぐにルネサンスに推参したわけではない。はるか後年になって、やっとルネサンスの人たちについて勉強をはじめたのだから。
ところで、『法の精神』が出版されたのは、1748年。
日本の文学としては、芭蕉の『奥の細道』が、1702年。
大近松の『曾根崎心中』が、1703年。『心中天網島』が、1720年。
新井 白石の『読史餘論』が、1720年。
室 鳩巣の『駿臺雑話』が、1731年。
してみると・・・芭蕉、近松、白石、鳩巣たちは、モンテスキューと同時代人と見ていい。
若き日の私は、なんとかモンテスキューを理解しようとした。しかし、当時の私は、芭蕉、近松、白石、鳩巣たちを読むことがなかった。ずっと後年になってから、これは作家として恥ずかしいことではないのか、と思いはじめた。
それまでにも、自分にわかる範囲で、少しづつ江戸の文学を読みはじめていたのだが。
それが、現在の「文学講座」につながっているような気がする。