さて、下戸だった話にもどるのだが――友人たちがそれぞれ結婚して家庭におさまった頃から、私も酒の味がわかってきた。からだがなれてきたせいもある。
ようするに、自分が酒を飲んでいるのか、酒が自分を飲んでいるのかわからなくなってきた。人並みに、いろいろと苦労して、酒の味がわかってきたらしい。
苦い酒も飲んだ。美しい酒も飲んできたし、つらい酒も飲んできた。もう、マケることもなくなった。
ある人が、日本で外国の酒を飲むとどうもその土地で飲んだほどのコクがない、といっていた。私は、そんな通ぶったことをいう資格はない。
どんな酒でも体調がいいときは、美味に感じる。自分が好きな相手と飲むだけで、酒の味はいやまさる。まして、好きな女と酒を酌むほどのよろこびはない。
好きな酒はある。
最近までたいせつにとっておいたドム・ペリニョンを、親しい友人にさしあげた。残念だが、私はもう飲めなくなっている。
酒にまつわる思い出はいろいろあるが――ある日、澁澤 龍彦のところに遊びに行ったとき、ちょっとめずらしいウィスキーを持参した。このとき、松山 俊太郎さんもいっしょに、そのウィスキーを召し上がったが、松山さんが激賞した。
松山さんは人も知る酒豪だから、このときお褒めのことばをいただいたのがうれしかった。
松山さんは、その後、堀口 大学先生のところで、たまたま酒のことが話題になったとき、中田 耕治が持参したウィスキーのことをご披露なさったらしい。
堀口先生は、にわかに興味を抱かれて、他日、中田 耕治なる痴れ者を連行せよ、と仰せられたとか。
私は、そのウィスキーを探したが、ついに見つからなかった。ある日、登山に出かけたとき、池袋某所の酒屋でただ一本を見かけたが、帰りに買うつもりで立ち寄ったときは、もうなくなっていた。
これも酒にまつわる思い出である。