もともと下戸のクチだった。などと書こうものなら、知人、友人たちが笑いだすだろう。しかし、これはほんとうのこと。江戸ッ子のやつがれ、ウソと坊主の頭はゆったことがない。
酒が飲めないのだから、おそろしくヤボな人間ということになる。そこで、見るに見かねて、友人たちが居酒屋につれて行ってくれた。
ひとくち、なめた。とたんに眼がまわって、顔から火が出た。異常体質だろうと思った。みんながニタニタして眺めている。悪い連中と友だちになったと後悔した。
それから、毎日、友だちについて歩いた。苦行であった。なにしろビールをコップに二杯飲んだだけで、心臓がモールス信号を打ってくる。
ある日、ビールを三杯半、飲んだ。世界の終わりがやってきた。まともに立っていられない。外に出て歩き出したが、地面がぐらぐらうねっているし、眼をあげるとネオンサインがサイケデリックに光り輝き、これもぐるぐるまわっていた。これやこの、天変地異でなくて何であろうか。
このとき、田中 融二と都筑 道夫のふたりが、私を介抱してくれた。ふたりとも、有名な翻訳家になるが、当時はまだ、ふたりとも駆け出し。
田中 融二は、私の背中をさすりながら、
「まけろ、まけろ」と声をかけてくれた。ブチまけろ、という意味である。だらしのない話だが、私は路上に吐いた。
その晩、都筑 道夫の部屋に泊めてもらった。
翌日、眼がさめたら、都筑はもう起きていた。というより、一晩じゅう、私の寝顔を見ながら、原稿を書いていたらしい。私は、都筑 道夫の仕事ぶりにすっかり感心してしまった。実際には、都築の寝床を私が占領してしまったので、寝るに寝られなかったのかも知れない。
もっと驚いたことがある。都筑 道夫の部屋は、ほとんどがミステリー、SFの原書ばかり。畳の上にだいたい20冊ほどの高さにならべられ、その上にふとんが敷いてある。つまり、ハードカヴァーのミステリーがベッドになっている。
当時、私もミステリーをたくさん買い込んでいたが、ほとんどがポケットブックばかりで、ハードカヴァーのミステリーは買わなかった。
それに、私はほかのジャンルの本も読まなければならなかったから、買えなかった、というのが、ほんとうのところだった。
都筑 道夫は「ミステリー・マガジン」の作家について、解説、紹介記事めいたものを書いていたから、原書を多くもっていても当然だろう。しかし、部屋いっぱい、ベッドがわりに原書を敷きつめるというのは、私の想像を越えていた。