眼をさます。人日(ひとび)の寒い朝。
アトリエと称する小さな部屋が寝室兼用。本、雑誌などといっしょにCD、DVD、ビデオなどが散乱している。こんな狭い板張りの部屋で寝起きしているので、ホームレスのようなものである。
壁には、額に入れた絵や写真が不ぞろいに並んでいる。
油絵、アクリル画、水彩。
私が教えていた女子美の生徒たちが、私のために描いてくれた絵が多い。なかには、自分のヌードを描いた大きな油絵もある。
水彩のヌード ほのかに 初あかり
こうした絵や写真には、私の過去がびっしりと裏打ちされている。
その過去は、遠ざかるにつれてますますはっきりと見えてくるのだろうか。それとも、その絵が描かれた時点、その写真が撮られた時点のまま、そこだけ切り取られた「現実」として残されているのだろうか。それは、いつしかセピア色に色褪せて、誰の想像力にも訴えかけなくなるのだろうか。
私は、ピエール・ルイスが撮った写真や、ポール・レオトォの写真、オーギュスト・ロダンのおびただしい水彩のデッサンを思いうかべる。
どれも彼らの本業の仕事とは思われていないが、それぞれの芸術家の特質をみごとに表現している。私はいつも彼らの、この仕事にひそかな感嘆を惜しまなかったものだが。
残念ながら私の水彩や写真には何の意味もない。
それでも、正月らしい俳句ができたから、ま、いいか。