724

「小説を書きたいのですが」
 と彼女がいった。
 「いいね。ぜひ、書いてみなさい。読ませてもらうよ」
 「でも、どういうふうに書いていいのかわかんなくて……」

  海はだだっぴろく、白茶けた色でひろがっていた。薄陽が射しているのだが、空も白茶けた色をしていて、空と海との境界はあいまいである。
  その海に沿って、埃っぽい道が投げ出された帯のようにつづいており、その尽きるところに鼠色の灯台があった。
  風景全体が、色褪せ、うっすらと埃に覆われているようだった。
  「いい景色だな。とりとめがなくて、押しつけがましくないところが、いい」
  と、彼が言った。

 「ある短編の、ごく一部分だけど、これを読んでごらん。読むだけだから、一分もかからない」
    ・・・・・・
 「これだけ読めば、小説を書くことがどういうものなのか、少しは想像できるだろう。わずか数行。この作家は、いつもこういう眼の働きをもっている。つまり、主人公の心の動きは、これだけでもよくわかるね」
 「(先生の)おっしゃっていることがわかりません」
 「もう一度、読み返して見なさい」        
    ・・・・・・ 
 「誰の文章ですか」
 「そんなことはどうでもいい。いや、そういっても仕方がないか。では、教えてあげよう。吉行 淳之介の『海沿いの土地』。短編だよ」
    ・・・・・・     
 「きみは、小説を書きたいといったね。それなら、この一節を読むだけで、自分がどういう小説を書きたいのか、よくわかってくるだろう」 
 「(先生の)おっしゃっていること、やっぱりわからないわ」
    ・・・・・・  
 「いまに、きっとわかってくるさ」

723

(つづき)
 作者の書きかたがわるいので、読者はよく考えて読まないと、わかりにくいところがあるかも知れない。私(為永 春水)の小説作法では、発端に書くべきプロットを、あとになって出してくるのが常套手段なので、そのあたりはどうか心得て読んでいただきたい。
 ストーリーに作者自身が登場する小説はめずらしくない。
 発端に書くべきプロットを、あとになって出してくるという方法も、伏線と見れば異とするにあたらない。
 『梅暦』を第三編まで出したとき、その序文で、

  今三編に到って首尾まったく整ひ、かく綴りし言の葉に、花の作者の毫(ふで)すさみは、悉く意気にして賤しからず、且わかりよくして優なる所あり、実に奇々妙々といひつべし

 とある。「首尾まったく整」ったはずなのに、書きつづけるうちに人気が高くなったため、この11編では作家がストーリーの重心をシフトして、続編の展開に新工夫を迫られはじめたとも想像できる。

 私が驚くのは、春水が「作者のつづりがあしきゆゑ、わかりがたかるくだりもあるべし」と書いたこと。
 ここに作家の謙虚、または傲慢を見るのではない。
 むろん、文学的な弁明ではないし、自己卑下でもない。

 自作が、婦女子に淫行を教えるものと非難され、「もとより代が著はす草紙、大方、婦人の看客をたよりとして綴れば、其の拙俚なるは云ふに足らず、されど婬行の女子に似て貞操節義の深情のみ」と反論しているのと、おなじ姿勢である。

 のうのうと人情本を書きつづけた春水の堂々たる自負を私は見る。

722

 
 為永 春水の『春色梅児誉美』(『梅暦』)第十一巻のオープニングは、いまは、牛島に住まいをさだめている「お由」のところに、四十あまりのおかみさんが訪れてくる。
 妹ぶんの「お蝶」が出ると、千葉の大和町からはるばる出かけてきた、と挨拶する。
 千葉と聞いて、「お由」が部屋に迎え入れると、「内儀はなにやら眼に涙。」

 お内儀は、昔蒔絵の織部形、三つ組の懐中盃を出す。それを見て驚いた「お由」は、自分の手箱から、書き付けを出して開こうとする。お内儀は、それを見るなり、涙声で、それを書いたのは私です、という。

 お由は聞いてびっくりし、「エエそんなら、わちきが五つの歳、お別れ申した、母御(おっか)さんでございますか」
 内儀「サァ。アイと、返事もできにくいわたしが胸を推量して、邪見な母(おや)と思はずに、堪忍して」と、泣きしづむ。
 お由もワット声をあげ、むせかへりつつ寄り添ひて、
 「イエイエ、何のもったいない、堪忍どころじゃございません。親父(おとっ)さんの存生(たっしゃ)な節(とき)さへ恋しかったおっかさん、まして常々気にしても、尋ねる当もないおまへが、とうして、わちきの在宅(ありか)が知れて、モシマア夢ぢゃぉ有りませんか」
 と取りすがりたる親と子の、道理(わけ)さへしれぬ愁嘆に・・
 というシーン。
 さすがに春水、冒頭、愁嘆場から読者の興味をいっきにつかんで小説を展開してゆく。
 このお内儀は、「お由」を生んだのが十六歳の暮れ。二十一歳のとき、また女の子を生んだが、生活難で、亭主と協議離婚。夫は、「お由」をつれて田舎の親戚を頼って去った。妻は、乳呑み子を里子に出し、しばらく乳母などをしているうちに、「藤兵衛」という者の囲い女になった。・・

 里子にだした女の子こそ、いま深川に全盛の芸者、「米八」という。

 このあとすぐに、作者、為永 春水がしゃしゃり出てくる。

  よくよくかんがへ読みたまはねば、作者のつづりがあしきゆゑ、わかりがたかるくだりもあるべし。すべて予が作為の癖は、発端にいふべきすじを、のちにしるすが常なれば、高覧をねがふのみ。

 すごいねえ。さすがは為永 春水。
         
    (つづく)