ミケランジェロが男色者だったことは有名だろう。彼の生涯には女性の影が落ちていない、という。はたして、ミケランジェロの生涯に、女に対する性愛がまったくなかったのだろうか。
ミケランジェロ自身は、「わたしは生涯愛せずには少しも過ごすことはできなかった」という。ルネッサンスの「男」の強烈な欲望が女性にまったく向けられなかった、とは思えない。
彼の処女作と見ていい詩に、
愛の神キュピッドよ、そなたの激情に誇らしく立ち向かうことのできた過去、
わたしは幸福に生きてきた。しかし、いまは、ああ、わたしの胸は
涙にぬれている、そなたの力が身にしみて
とか、
わたしをあなたにことさら惹きつけるのは誰だろう。
ああ、ああ、しっかりとしばりつけられながら、
それでもわたしが自由とは
という。(1504年)
ロマン・ロランは、「ミケランジェロの作品には愛が欠けている」といったが、これも私としては疑問で、じつは、ある女性に対する恋の苦悩に身を灼いていたのではないか。
ミケランジェロは、うまれついてのホモセクシャルと見るよりも、むしろバイセクシャルだったし、コンパルシヴな女体探究者だったとみていいのではないかと思う。
作家、ア-ヴィング・スト-ンは、メディチ家の令嬢、コンテッシ-ナに対する愛を想像しているが、それを裏づける資料はない。
晩年のミケランジェロの、ヴィット-リア・コロンナに対する深い愛情も、肉欲とは関係のない純愛だったといわれている。
私は、1520年から27年まで、ミケランジェロがあまり仕事に手をつけなかった不毛な時期に、女色にふけったのではないか、と見ている。
若い男性に対するつよい関心は、1530年以後からで、初老にさしかかってからだったと見ているのだが。