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 良寛さんの名歌に、

   この里に手まりつきつつ子供らと遊ぶ春日は暮れずともよし

 春の日に、良寛さんは村の子どもたちと手毬をついてあそんでいる。春、日が長くなってきた。暮れなくてもいい。このまま子どもたちとあそんでいたいから。

 誰の胸にも村の子どもたちと無心にあそんでいる名僧の姿がうかんでくる。
 二度、三度と読んでいるうちに、ふと、別の読みかたができるような気がしてきた。
 良寛さんの感懐の重心は「春日は暮れずともよし」にあるけれど、読みかたによって、少しニュアンスが違ってくる。
 子どもたちと手毬をついてあそんでいる。だから「春の日はこのまま暮れなくてもいい」。つまり、暮れなければ、このままもっと子どもたちとあそんでいられるのになあ、という無心な願望がある。「子供らと遊ぶ春日は 暮れずともよし」。
 これに対して、私は「春日は暮れずとも よし」と読む。
 ある日、良寛さんは村の子どもたちと手毬をついてあそんでいる。日が長くなってきた。しかし、いずれ日が翳り、暮れてしまう。村の子どもたちとあそんでいられるのだから、暮れようと暮れまいと、春の日はいいものだ。

 むろん、どちらでもおなじではないか、と反論する人がいると思う。私たちは子どもたちと無心にあそんでいる名僧の姿に感動するのだから。
 たしかに、このまま日が暮れなければもっと子どもたちとあそんでいられるのになあ、という解釈は素朴でいいけれど、私には、子どもたちとあそんでいればこそ、春の日をよし、とする良寛さんがおわしますような気がする。

   願はくば花の下にて春死なむそのきさらぎのもちづきのころ

 という西行の歌は、春のうらやかな自然につつまれて、桜の花の下で日本人らしく死にたいという願望を歌った名歌と見ていいが、ほんとうはお釈迦さまが亡くなったその日に自分も涅槃に赴きたい、という仏教者としての覚悟を詠んだものと私は読む。

 日本人の絶命詩としては秀吉の辞世に、「露とおち露と消へにし我が身かな」がある。これにつづく浪速(なにわ)のことには、「何々の」、「なにくれとなく」、「なにやらの」などが隠されている。哀れをさそうが、私はあまり好きではない。

 良寛さんの天衣無縫の歌のほうがはるかにすばらしい。