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テレビのドキュメント。(10チャンネル/’07年10月21日・夜)
 キャスター、堺 正章。サブに、えなり かずき。あとは高橋 克典、押切 もえといったタレントがならぶ。たいして期待もせずに見た。

 アフリカ、ウガンダ奥地の小学校の子どもたちは、絵を描きたくても紙がない。
 日本の和紙職人が現地で、バナナの葉、ワラ、ワラ灰、野菜のオクラなどを使って紙を作る。素材がコウゾではないので、おそらく良質の紙ではないが、子どもたちに紙漉きの技術がつたえられる。クレヨンもないので、炭を砕いてアブラを加え、画材にする。
 村の子どもたちが、生まれてはじめて絵を描く。はじめて描いた絵をプレゼントされて涙ぐむ若い母親。

 つづいて、東チモールの山村。独立を巡っての内戦で荒廃した村。村人たちは燃料も買えない。幼い女の子が、毎日、四、五往復、山から木の枝を運んでいる。その山も、伐採でほとんどはげ山になっている。
 日本のカマド作りの職人が、三つ口のカマドを工夫する。燃料は三分の一ですむ。煮炊きの効率が飛躍的に向上する。職人は、村のポンプが非衛生的なので、排水や下廻りをセメントで作る。
 村人たちのたっての願いで、彼はセメントに自分の名前をサインする。

 カンボジア。水質のわるい池の汚水しか飲んだことのない少女。この池で女たちは洗濯したり、子どもたちが泳いだり。子どもたちの7人に1人は5歳までに死亡するという。
 日本から井戸掘りの職人が行く。現地の地質を調べ、竹を組んで、上総掘りの技術で井戸を掘りはじめる。途中で岩盤に当たって工事は難航するが、最後にポンプから清潔な水があふれてくる。その少女は、生まれてはじめて清水をのんで、おいしいとつぶやく。

 材料はすべて現地調達。気候も生活条件も、何もかも日本とは違っている。職人たちは、なれない環境で苦労しながら、それぞれ、みごとに成果をあげていた。
 自分が人生でつちかってきたものを、見知らぬ土地の人々にわかつ。それは、テレビのためではない。日本の職人の腕を誇るためでもない。まして、ヒューマニズムといったものでもない。長い歳月をかけて自分が身につけてきた腕や、工夫を、自分にできる範囲で隣人にわけてやるだけのことなのだ。
 職人の生きかたを私は尊敬している。

 日本人が忘れようとしているものが、やがて、ウガンダ奥地や、東チモールの山村、カンボジアのつぎの世代にうけつがれてゆくだろう。社会の本質的な豊かさは、こうした人々の生きかたがどれだけうけつがれてゆくかできまってくる。
 思いがけず、アジア、アフリカの貧しい村人に、日本の職人の創意や工夫、技術がつたえられて行く。それが伝統というものになる。