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浄瑠璃『太平記忠臣講釈』を読んでいて、おもしろい計算を見つけた。
 原作は、近松 半二。「忠臣蔵」の台本の一つ。

 鹽冶判官(えんやはんがん)の弟、縫殿之助(ぬいのすけ)は、「戀のはじめも浮橋に、つい仇惚れも誠となって」、相手の浮橋太夫も「ほんの女夫(めおと)になりたいと、思ふ思ひも儘ならず」手に手をとって死出の旅路に出ようと心にきめる。これを知った廓の亭主、治郎右衛門は、高師直(こうのもろなお)の家来、薬師寺に浮橋太夫の身請けをもちかける。

 薬師寺に身請けされては、縫殿之助に添うことはできないと知った浮橋太夫は、脇差しを抜いて自害しようとする。
 治郎右衛門は、浮橋にいう。(愛する相手に)死んで逢おうとする極楽に、道がなんぼあると思うか、という。

 お経にさえ、十万億土という。一里が十万億倍の道。一日に十里歩いたとしても、日数からいって、日本の始まり、神武天皇の時から歩いて、やつと今(現在)に着くか着かないほどの距離になる。
 さて、この道中の費用が、宿賃から昼食(ちゅうじき)をいれて、およそ110万8千貫目ほどかかる。
 ワラジ代が、銭で、15万5千50貫。
 通し駕籠にのれば、1116万9580貫目。

 「是だけなければ極楽には行かれぬ」。この10分の一もあれば、この世で結構な世帯(しょたい)ができる。だから、心中などという思いつきは、ママママ、よしになさんせ、というロジック。

 笑ったね。こういう計算はおもしろい。

 このあと、廓に大星 力弥がきあわせて、敵の斧 定九郎と斬りむすぶ。薬師寺に首尾を報告に行った治郎右衛門が戻ってきて、びっくり仰天、こは何事と「おどぶるふ」。
 おどぶるふという動詞は、たぶん、お胴震う、だろう。

 たまにこういうものを読むと、なかなか楽しい。