708

1993年、ロシアの状況は混乱をきわめていた。政治的にも経済的にも。
 それまでまったく「存在しなかった」西欧の文化がどっと流れ込んできたのだから、芸術の分野も混乱や動揺がひろがっていることは想像がつく。そのなかで芸術家たちが何を考えているのか。

 ある日、ロシアの若いミュージシャンのロックを聞いた。
 「モスクワ・天使のいない夜」(UPLINK/1993年)、英語のタイトルは<Dog’s Bullshit>。「モンゴル・シューダン」というグループ。
 ロシア語がわからないのだから話にならないのだが、この若者たちにとって、ロックは、ジェフ・ベックであり、ミック・ジャガーであり、セックス・ピストルズなのだ。それは、混乱のなかで、はっきり手につかむことのできる価値であり、破滅であり、ロシアの現状に対する全否定なのだ。ゴルバチョフ、エリツィンはもとより、ハズブラートフ(最高会議議長)や、ルイシコフ(市長)や、はてはジリノフスキーのような愚劣な国粋派に対する反抗だったにちがいない。
 ロックは、一度死んで、また生き返ろうとしているスラヴの声なのだ。そして、ロックは、あの愚劣な絶対不可侵の無謬性に蔽われたロシアという、不可能の壁に対する果敢な挑戦だった。

 「ルーシシュ・シュヴァイン」で彼らは歌う。

   貧しくて汚い 悪臭ふんぷんたる わがロシア
   きさまの息子や娘たちは いまやクソまみれ
   きさまは いろんな連中を 育てやがった
   アナキスト 共産党 悪党ども 酔いどれ 変態 なまけもの
   おれたちは けだもの同然
   そこらじゅうに クソをヒリ出す
   互いに争い どこででも オマンコする
   ヨーロッパのようには 暮らせない
   何もかも どうでもいいや
   おれたちみんな どうせそのうち 精神病院にブチ込まれるさ
    (太田 直子訳)

 ルーシシュ・シュヴァインというドイツ語は、大戦中、ドイツ兵がロシア人を呼んだ蔑称、ロシア豚。

 敗戦後の日本の惨憺たる状況を見てきた私には、なぜか、彼らの歌はロシアの若者のほんとうの叫びに響いた。
 リーダーのワレーリ・スコロジェッドは、中学のとき、学校に火をつけて、警察に逮捕されたという。
 夜間学校に通学している友だちができた。あとになって、そのダチコウが、KGBの手先で、ワレーリのことを洗いざらい報告していたことがわかった。
 共産主義国家という、密告と監視のうえにきずかれていた体制が「モンゴル・シューダン」のようなグループを育てたことがわかる。

 いま、ロシアはふたたび繁栄を見せている。
 「モンゴル・シューダン」のようなグループは現在どうしているだろうか。