(つづき)
ことの起こりは、当時、東京一の大劇場だった「新富座」の十月興行。菊五郎(五代目)が、実録、「伊勢音頭」という新作を出すことになった。これに、東京各地の芸者さんがこぞって出演したという。
出しもの(レパートリー)がすごい。
一番目が「妹背山」。団十郎(九代目)が初役の「お三輪」。中幕が「矢口の渡し」。 二番目は、黙阿彌の「千種花音頭新唄」(ちぐさのはな・おんどの新唄)ときて、このなかで、東都の名だたる芸者衆の伊勢音頭を見せようという企画。プロデューサーは座主の守田 勘弥。
勘弥が交渉したのは、柳橋、新橋の二ケ所だったが、話が大きくなって、霊岸島、新富町、葭町、日本橋、下谷、講武所の芸者衆が総出で応援することになった。
出演料はなし。そのかわりアゴ、アシつき。
芸者衆にしてみれば、あこがれの役者たちに接近できるのだから、いなやはない。しかも、それぞれの土地を背景に、芸でひけをとってはならぬ女の意地がからむ。
花柳界は、この踊りのお稽古に熱中した。
この興行については、葭町の米八と家橘(のちの羽左衛門)のロマンスから大騒動になるのだが、ここではふれない。
興行は大ヒットした。
このときの「伊勢音頭」で、「ヨイヨイヨイ」が使われる。たとえば、後年の「東京音頭」の・・・ヤットナァ、ソレ、ヨイヨイヨイも、この亜流。
ここからが私の想像ながら、上方の「ヘラヘラヘッタラ、ヘラヘラヘ」は、この東京の「ヨイヨイヨイ」に対抗するものではなかったか。
東京で流行ったものを「ヘラヘラヘッタラ、ヘラヘラヘ」と受けてみせた、とすれば、別のものが見えてくるのではないかと思う。
明治20年、『浮雲』が登場する。翌年は『あひびき』、『めぐりあひ』。
鴎外の『於母影』、露伴の『露団々』が書かれた時期に、芸者衆はヨイヨイヨイと踊りながら、女の意気地を見せていた。かたや、庶民はヘラヘラヘッタラ、ヘラヘラヘと浮かれていた、という構図。
おもしろい。