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ブータンの国王が2008年に退位すると宣言した。
 国民の「幸福」を国是としてきた国王は、昨年、テレビ、インターネツトを解禁した。 突然、全世界のニューズが押し寄せてきたのだから、国民の意識が急激に変化した。それは国王のねがう「幸福」とは背馳したものだったに違いない。
 日本のテレビの取材に答えているブータンの小学生(女の子)を見ているうちに、自分の小学生の頃を思い出した。

 学校から帰ってランドセルを投げ出すと、すぐに台所に飛んでゆく。
 「ただいま」と声をかけて、
 「何かないの」
 と聞く。
 「オセンベがあるよ」
 母が答える。
 せいぜいオセンベが2枚。ビスケットなら5、6枚。何もないときはムギコガシ。当時の子どもたちのオヤツは、せいぜいそんなものだった。
 オヤツをバクつきながら、また家から走り出す。
 「早く帰ってくるんだよ」
 という声も聞いていない。

 私の家のすぐ前に、愛宕橋があった。
 橋のたもとに、梁川 庄八/首洗いの池がある。梁川 庄八は、浪人の身で、伊達藩の首席家老、茂庭 周防守を青葉城の外に待ち伏せ、その首級をあげ、血のしたたる生首をかかえて逃走した。逃げる途中、小さな池があったので、仇敵の首を洗ったという。講談に出てくる。
 史跡はそのままの池が残っているのではなく、大谷石で四方、一間幅の長方形に囲んだ小さなみずたまりになっていた。手入れもしないので、まわりは低い灌木と雑草が繁っている。昼でも薄気味のわるい場所だった。

 橋の下、首洗いの池から崖をつたって広瀬川のほとりに降りる。水際が迫っているので、足をすべらせると危険だった。そこをわたると、すぐ先に放水路の流れがつづいて、そこから、浅瀬をわたって小さな砂州になる。
 そこが私の王国だった。

 ガマや青ダイショウはいなかった。
 トンボ、バッタ、ときにはイナゴも見つかる。川面に、ハヤやアユの群れが動いている。板切れか棒の先にクギを二、三本、打ちつけただけのヤスで、岩にひそんでいるドンコを刺したり、フナの稚魚を石のあいだに追い込んだり。
 そんな遊びにあきると、草むらに寝そべって雲を眺める。まだ、新しい号が出ていない「少年クラブ」を読み返す。もう何度も何度も読んでいるので、懸賞に当選した全国の少年たちの名前まで読むのだった。

 「遅かったねえ。どこに行ってたの。お使いを頼もうと思っていたのに」
 母がかるく睨む。
 「わかった、すぐにお使いに行くよ」

 夜はラジオを15分だけ聞く。村岡 花子先生の「子供の時間」だった。毎晩、このラジオを聞いた。花子先生はわかりやすい綺麗なことばで、いろいろなニュースをつたえてくれるのだった。

 ブータンの小学生(女の子)が、日本のテレビの取材に答えていた。
 「テレビがきてから、家のなかで会話がなくなったの」

 自分の小学生の頃を思い出す。テレビもインターネットもなかった時代。
 少年時代、私はほんとうに幸福だったような気がする。