戦後、衣食住のすべてが逼迫していた。
戦災に会わなかった友人の椎野 英之の家に、私と同期の小川 茂久が間借りをしていた。小川は、七月に入って招集されて、陸軍の最後の二等兵になったが、翌月、終戦で、すぐに復員した。やがて、世田谷に移ったので、その部屋が空いた。そこに、中村 真一郎が移ったのだった。
私は、毎日のように、椎野の家に遊びに行っていたので、椎野が紹介してくれたのだと思う。私はすでに「近代文学」の人々と会っていたから、中村 真一郎が、戦後、最初に会った文学者というわけではない。
ある日、遊びに行った。誰もいなかったので、二階の椎野の部屋に入った。襖戸ひとつで仕切られているとなりが、中村 真一郎の部屋だった。
六畳二間ぐらいの部屋だった。部屋の片側に作りつけの書棚が並んで、そこにぎっしりとフランス語の本が並んでいた。驚嘆した。
東大仏文の出身で、たいへんな博識の文学者だということは知っていた。その蔵書の量の多さに度肝をぬかれた。しかも、すべてフランス語だった。
中村 真一郎の読書量はこんなにも多くて、しかもこの原書を読みこなしている!
眩暈のようなものを感じた。
このことは私に大きな影響をおよぼした。
(1)とにかく外国語を習得しよう。中村 真一郎ほどの勉強家にはおよびもつかないが、せめて、一つだけでも語学を身につけよう。
(2)しかし、中村 真一郎とおなじ語学を勉強するのはやめたほうがいい。とても追いつけるものではないから。
つまり、フランス語はやらないほうがいい。中村 真一郎、加藤 周一、福永 武彦のような秀才にかなうはずがないのだから。
(3)それでは、別の語学を勉強しよう。
まったくもって、あさはかな考えだった。