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 女優のジェーン・ワイマンが、カリフォーニア、パームスプリングスの自宅で亡くなった。(’07.9.10.) 享年。93。
 つい数年前に、シモーヌ・シモンが、92歳で亡くなっている。この世代の女優たちではジェーンも長寿といえるだろう。

 彼女の代表作としては「失われた週末」(45年)と、「子鹿物語」(46年)が思い浮かぶ。「ジョニー・ベリンダ」で、アカデミー賞を受けている。
 40年に、二流の俳優、ロナルド・レーガンと結婚したが、48年に離婚した。離婚しなかったら大統領夫人になっていたはずだが、ジェーンとしては、ナンシーを羨望するようなことはなかったと思われる。

 彼女の訃を知って、ヒッチコックの「舞台恐怖症」(Safety Curtain)を見た。マルレーネ・ディートリヒの主演。ヒッチコックとしては、後年の「劇場殺人もの」に発展してゆくミステリー最初の布石といっていい。ディートリヒとしては、後年の「情婦」に発展してゆくミステリー最初の映画。
 妖艶なディートリヒに対して、清楚で、おとなしいタイプのジェーンが配置されているわけだが、ジェーン・ワイマンがヒッチコックのお気に入りのタイプだったかどうか。

 ジェーン・ワイマンは、それほど美貌ではなく、ガマグチ・ワイマンとあだ名をつけられていた。おなじように、それほど美貌ではなかったが、演技的にしっかりしていたドロシー・マッガイア、ナンシー・ヘールなどとおなじように、映画のなかでしっかりとした存在感を見せるタイプ。
  役柄はありきたりのアメリカ中産階級、ごく平均的なハウスワイフ・タイプの女性といった感じだった。「失われた週末」では、アルコール依存症の無名作家を立ち直らせようとして献身的につくす婚約者。「子鹿物語」では、貧しく、苦しい辺境の生活に耐えながら、忍従のなかでいつしか夫や子どもにも心を閉ざしてしまう開拓者の妻。
 「ジョニー・ベリンダ」では、当時の厳格な検閲ではまったく表現されることのなかった、非性的(アセクシュアル)な女、あるいは、不感症(フリジッド)的な女をみごとに演じていた。

 ジェーンのひたむきさが、映画にどこかあたたかみを与えていた。別の女優の例としては、「シェーン」のジーン・アーサーがこれに近いだろう。
 ヒッチコックは、ジェーンの眼、とくに恐怖に直面したときの眼に注目していたのではないかと思う。いわゆる眼千両である。ヒッチコック映画に出た女優たち、イングリッド・バーグマン、ジェーン・フォンテン、ティピー・ヘドレン、ドリス・デイ、キム・ノヴァク、ヒッチコックはジェーン・ワイマンのような眼のクローズアップ・ショットを撮っていない。(「めまい」で、キム・ノヴァクの眼のクローズアップは出てくるが、これは演出上の意味がちがう。)

 ガルボ、ディートリヒ、ノーマ・シァラー、ジョーン・クロフォードの時代が去ったあと、どちらかといえば小粒なスターが輩出する。
 こういう比較はあまり意味がないような気がするけれど、アイダ・ルピノ、アレクシス・スミス、スーザン・ヘイワード、ルース・ローマン、ナンシー・ヘールといった二流のスターたちのなかで、ジェーン・ワイマンはいつもつつましやかで、輝かしい存在だった。
 彼女たちのすぐうしろに、エリザベス・テーラーと、マリリン・モンローの時代がつづいている。

 ロナルド・レーガンと離婚したあと、ある作曲家と再婚したジェーン・ワイマンは、当時まだ無名のマリリン・モンローと知りあった。マリリンは撮影所で音楽を担当していたフレッド・カーガーと恋愛していたが、スターレットとも呼べない大部屋の女優だった。
 ジェーンは無名のマリリンと親しくなって、いろいろと世話をした。ジェーンは、無名のマリリンに何を見たのだろうか。
 ワイマンはすでにアカデミー賞をうけた女優だったが、この時期からハリウッドから遠ざかってゆく。マリリンはこの直後からスターダムにのしあがって行く。

 お互いの人生で、一瞬、交錯しただけのかかわりだったはずだが、ジェーンはマリリンに好意をもっていた。マリリンもジェーンに感謝の気もちを忘れなかった。
 ハリウッドという地獄にはこういう関係もある。

 合掌。オム・タラ・トゥ・タレ・トゥレ・ソハー。(ある本でおぼえたお経の一節)。