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 マリア・グレギーナは、旧ソヴィエト末期に登場しているが、少し先輩のリューバ・カザルノフスカヤとともに、私の好きなオペラ歌手。旧ソヴィエトが崩壊してから、世界的に知られる。

 1991年に「サントリーホール」のコンサートで、「デズデモーナ」、「レオノーラ」を歌った。当時、ソヴィエトが破局的な状況にあったとき、マリアの姿にロシアの未来を重ねてみた人も多かったのではないだろうか。
 私は、新国立劇場のコケラオトシで、『アイーダ』を見た。これは、フランコ・ゼフィレッリの演出だった。これを見たときの印象はまだ心に残っている。ゼフィレッリ演出とマリアについて、私の『ルイ・ジュヴェ』に書きとめてある。

 『マクベス夫人』(スカラ座)は、衛星放送で見た。
 マリアの「マクベス夫人」が、そこには存在しない亡霊を見すえるとき、自分ではなぜ亡霊があらわれるのか想像もできない状態を経験しながら、まるで彼女自身が存在していない場所からやってきたように見えた。いくら洗っても洗っても、掌についた血は洗い落とせない。このとき、私たちの恐怖が、そのシーンを演じ、私たちの夢がその恐怖をまざまざと現出するのだ。
 リッカルド・ムーティの指揮がすばらしかった。

 友人が亡くなったとき、いつも音楽を聴く。生前の彼が愛していた(と思われる)音楽を選ぶようにしているのだが、わからない場合は、自分が勝手に選んで聴く。

 この夏、亀 忠夫が亡くなったとき、私はモーツァルトを聴いた。
 そして、つぎにマリア・グレギーナを選んだ。オペラではなく、もう誰も聞かないロシア・ロマンスを。