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 しばらく前に、小林 一茶についてふれた。
 一茶は八歳の女児が、妊娠、出産したことを日記に書きとめている。この俳人が、なぜこうしたニュースを書きとめたのか、私は不審に思った。

 偶然だが、ある著作にとりあげられていることを知った。
 候文なので、読みやすいように、段落、句読点をつけて紹介しておく。

   下総の国、相馬郡、藤代宿・・・土屋侯領分・・・百姓、忠蔵といふものの娘、八才にて男子を生む。母子つつがなし。御代官、吉岡次郎左衛門より届出。
   右、忠蔵儀、私当分預かる所、常州(常陸/ひたち)筑波郡、城中村、百姓、忠兵衛次男にて、久右衛門叔母、かな(の)婿養子に相なり、同人(之)娘、よのと夫婦に相なり、八ケ年以前、女子出生。
   とやと名付け、育て置き候うち、四才の節より、同人(とや)儀、月水に相なり、実事(じつごと)とも存ぜず、病気と心得、薬用いたし候へども、其詮これなく、不思議と存じ居り候うち、

   当、正月頃より月水止み、三、四月頃より、懐妊の体(てい)に相見え候へども、小児の儀、ことに密通などの様子かつて見聞におよばず、

   何にても幼年の者の所業に相替わる儀これなく候あいだ、これまた病気の所為と存じ、打ち過ぎ、月重り候ても同様ゆえ、不安につき、医師相呼び、とくと次第をも咄(はなし)し聞け候上、見させ候ところ、懐妊に相違なしと申し聞け候へども、

   聊(いささか)も色情の体(てい)これなく、八才の小児、懐妊すべき様これなく、いずれにても信用いたしがたく、しかし、医師も其の通り申し聞け候に付、疑惑仕(つかまつ)り候。

   所々にて占わせ申し候ところ、狐狸の業、または懐妊にこれあるべきなど種々(くさぐさ)の判断いたし、一様にこれなく、旦夕、神社の加護を祈り候ほか、他事なく相過ごし候うち、

   当、三日、六ツ時、安産いたし候。家内一同、驚き入り申し候。ことに男子にて丈夫に御座候。
   其節より乳も沢山出申し候とか。
   八才には見増し、十才くらいには見え、芥子坊主に御座候。右は御用ついでに手代ども見聞の趣、書面の通りに御座候。

 これは、原 武男著『奇談珍話 秋田巷談』による。

 八歳の女児が、妊娠、出産したのは、文化九年(1812年)九月三日である。
 信州在の一茶は、この噂を日記に書きとめている。

 秋田藩の俳僧、松窓 美佐雄の選で、「たまげたたまげた」に付けた一句、

    子を生んだ娘は 柿とおないどし

 がある。嘉永三年の作。
 「柿とおないどし」というのは、「桃栗三年、柿八年」を踏まえている。文化九年(1812年)から嘉永三年(1850年)、この事件はひろく人口に膾炙したものと思われる。セックスにかかわるこうした奇事が、私たちの性意識にどう影響しているのか。
 こうしたウワサの伝播が、どういうふうに私たちの感性に根づいてゆくのか。

 一茶が日記に書きとめたのは、好奇心からだが、あらためてホモ・エロティクスとしての一茶に、私は注目する。