651

 現在の私たちの誰しもが、あらぬ不安を抱いたり、いやな予感が頭をかすめているとしても自然かも知れない。

 今週だけにかぎっても、「道路や建物の被害は費用さえかければ修復できるが『心の傷』はそうはいかない。(地震の)復興は一人ひとりの声に耳を傾け、『思い』を受けとめたものであってほしい」。これが、新潟地震から1カ月の状況なのである。

 しかし、日本は元気です。

 いわゆるホワイトカラー向きのビジネス書、修養書は、がんばっている。
 55万部のベタ・セラー、『なぜ生きる』を読んだ12歳の女子中学生は、「この本は私に生きる力、勇気をくれました」と書いている。

 これもベタ・セラーらしい『思いやりの心』には――
 日本人は、昔から「思いやり」を大切にしてきました」というキャッチコピーがついている。『思いやりの心』には、優しさ、謙虚さ、美しさがあふれている。
 8万部のベタ・セラーは『今日から始める「やる気」勉強法』。
 10万部突破の『身につけよう! 江戸しぐさ』は、美しい心、美しい習慣が人を幸せにするという本。おなじ著者の『子どもが育つ 江戸しぐさ』は、日本人の心と体にしみ込んで生かされてきた、すばらしい知恵の数々がいっぱい。

 スポーツ、体育系なら、アントニオ猪木の『元気があれば何でもできる!』や、三浦 雄一郎の『人生はいつも「今から」』を読めばいい。

 こういう時期に、『社内の「知的確信犯」を探し出せ』(真喜志 順子訳)を読むのは、はっきりした対抗療法になるだろう。
 なにしろ、キミの隣りにいる人物がじつは、サイコパスかもしれないのだから。

650

 「サイコ」という概念が一般に知られるようになったのは、ヒッチコックの映画からだった。その後、精神病質に関して研究が広範囲にひろがった。
 サイコパスという概念も、いまではひろくもちいられている。
 だが、厳密にいえば、サイコパシー(精神病質)、ソシオパシー(社会病質)、反社会性パーソナリティー障害(PPD)は、しばしば混同される。

 サイコパシーはパーソナリティー障害。サイコパスは、良心もなく、他人に対しての共感がない。何につけ罪悪感がない。そして、何か、たとえば、神、自然、自分の属する環境、組織、いっさいに対する忠誠心がない。
 最近の事件の報道を見ると、こうしたサイコパシックな「人間」による、非情な犯罪が多くなっているのではないか、と思える。

 真喜志 順子が訳した『社内の「知的確信犯」を探し出せ』(ポール・バビアク/ロバート・D・ヘア共著)を読んだ。(「ファーストプレス/07・7・25刊/2200円」
 真喜志 順子は『メンデ』、『囚われの少女ジェーン』などの訳で知られているが、この『社内の「知的確信犯」を探し出せ』のおもしろさは、全面的に訳のみごとさによる。
 私のように、精神病理学にまったく知識のないもの書きにとっても、とても刺激的な本だった。以下は、書評ではなく、私の勝手な読後感である。

 原題は SNAKES IN SUITS(スーツを着たヘビ)。私はすぐに、戦後すぐに登場した企業小説、『灰色の服を着た男』と、鬱質で、いくらかサイコパシックな性格をもった女性が精神病棟に入れられた女性を描いた『蛇の穴』を思い出した。
 そういう意味で、『社内の「知的確信犯」を探し出せ』は、企業内サイコパス+サイキック・ストーリーの複合と見ていい。
 まず、著者のひとり、ロバート・D・ヘアの調査(「精神病質チェックリスト」PCLーSV」)によるサイコパスの領域と特性のリストをあげてみよう。

 ■対人関係    ■感情 
  表面的     良心の呵責がない
  誇張的     共感能力がない
  欺瞞的     責任を回避する
   
 ■ライフスタイル ■反社会性 
  衝動的     行動のコントロールがニガテ
  無目的     青年期の反社会的行動
  無責任     成人後の反社会的行動

 著者は書いている。このリストの特性を見ていると、あらぬ不安を抱いたり、いやな余感が頭をかすめるかも知れない。

 「ひょっとして、オレもサイコパス?」

649

「キスリング展」を見る。

 ずいぶん前に、ジュネーヴの「ブティ・パレ」で見た絵をもう一度見たいと思って。

 これは「ブロンドの少年」(1937年)で、以前、ジュネーヴの「ブティ・パレ」で見た絵だった。濃いブルツシャン・ブルー、グリ、淡いコバルト・グリーンの縞模様のついたセーター。両手を腿のうえで交差させたポーズ。少年は少し頸をかしげて、どこか哀愁をたたえたまなざし。
 日本でも、キスリングの代表作として知られている。この絵をもう一度見たいと思っていた。

 戦時中、キスリングの小さな画集を見つけた。小型で、紙質のよくない画集だったが、そのなかに1枚のヌードの写真版があった。
 若い女が、上半身をねじるようにして、ふくよかな臀部をこちらに見せて、ベッドに横たわっている。今回の「キスリング展」では見られないポーズで、私自身はこの絵をキスリングのヌードのなかでも最高の傑作と、勝手に信じている。
 しかし、この絵はついに見ることができなかった。むろん、今回の「キスリング展」にも出品されていない。

 キスリングのヌードのなかで、とくに傑出した2枚、「赤毛の女のヌード」(1949年)と「アルレッテイのヌード」(1933年)。これは、今回の「キスリング展」でも、その美しさからいってほかのヌードよりもさらにすぐれている。
 女優、アルレッテイは、私たちには「天井桟敷の人々」の「ガランス」で知られているが、もともとブールヴァールの芝居の女優で、粋で、美貌のパリジェンヌとして人気があった。
 キスリングは、女優、アルレッテイを愛していた。あの多情で、たくさんの男たちの心を奪い、しばらくすると、もうどこにも存在しない女を。

 私がこの絵に見るものは――画家の内面にたゆたっている思いなのだ。女優、アルレッテイに対する名状しがたい思いが、この絵を描かせた。この絵の女優のまなざしには、あの creation のあとの、けだるさと、男に対するかすかな憐憫がひそんでいる。

 もう1枚の「赤毛の女のヌード」(1949年)については、カタログの解説を、引用しておこう。

   女性は官能的なしどけないポーズで、モデルお決まりのポーズではない。この作品は伝統的な絵画に匹敵する大きさを持つが、実際そこに描かれる図象は当時の大衆雑誌のようなものだ。

(ここで、解説者は、大衆雑誌に掲載された写真を使ったピカビアをひきあいに出しながら)

   キスリングは新人スターや挑発的なポーズを取る若い女性の写真をアトリエの壁に貼った。キスリングの一部の作品はそれらの写しであるが、単に写真のイメージに絵画の力や広がりを与えるだけでなく、モデルのポーズも大胆にさせていた。
   しかしながらこの大胆さは、古典絵画のように背景に配置された低いテーブル上の皿の上の果物(桃や葡萄)などによって幾分和らげられている。

 という。カタログの解説にしても美術の研究者の書くものはどうしてこんなにつまらないのだろう。

 これも、キスリングらしいポーズだが、この程度に官能的なしどけないポーズなら、ヴァン・ドンゲンや、ジュール・パスキンにいくらでも見つかる。キスリングはモデルのポーズをことさら大胆にさせてはいないだろう。まして、彼が描いたヌードは、当時の大衆雑誌に出ているようなものではない。
「赤毛の女のヌード」もまた、キスリングにとっては、creation のあとの「ニルヴァーナ」ではなかったか。その証拠に、女が頭を上にしている織物の渦巻きは、あきらかに女のヴァジャイナを象徴化しているのだ。

 キスリングは新人スターや挑発的なポーズを取る若い女性の写真をアトリエの壁に貼った、という。別に驚くほどのことではない。
 ピカソは、日本の舞妓の写真をヴァローリスのアトリエに並べていた。(これは、私自身が実見している。)ピカソや、モジリアーニや、キスリングのようにエロティックな芸術家にとって、「新人スターや挑発的なポーズを取る若い女性の写真をアトリエの壁に貼る」のは、いってみれば songears villants (醒めた夢想)であり、つかのまのエクスタシーを約束するだけなのだ。

648

夏休み。
 夕方になると、子どもたちが横町の角に集まる。日ざかりで遊ぶのを避けていた。

 その時間に、紙芝居のおじさんがまわってくる。子どもたちにとっては、活動写真につ
ぐ楽しみだった。

 ある日、紙芝居がくる前に、その街角で、道端に見知らぬオジサンが休んでいた。修験
道の行者か修行僧らしく、異様な風体だった。おそらく六部だったのだろう。
 頭に六部笠。ぼろぼろで汚れた衣。素足にわらじ。赤銅色に日焼けした肌。
 道端に、笈(おい)が置かれて、子どもたちが外の扉をのぞき込んでいた。
その笈(おい)は、まわりに金網が張りめぐらされて、なかのものに手をふれることが
できないようにしてあった。
私も子どもたちのうしろからのぞいて見た。

 笈(おい)の扉が開かれて、そこにびっしりと何かが貼りつけてあった。どれもおなじ
サイズ。縦が2・5センチほど、横幅がせいぜい2センチの小さな写真。
 全部が、子どもたちの顔写真ばかり。その数、ざっと二、三百はあったような気がする。

 なかには、色が褪せて、黄色や褐色になっているものもあった。

 写真の子どもたちの表情は、どれもぼんやりしている。しかし、それぞれが子どもたち
の顔だということはわかった。しばらく見ているうちに、その子どもたちのなかに、女の
子らしい顔が見わけられるようになった。

 その写真の子どもたちは、みんな、行方不明になったのだった。人買いにさらわれたり、
家出をしたり。神隠しにあったのかも知れない子どもたちばかりだった。

私はいいようのない恐怖におそわれた。夏休みの期間、私はその横町に足をむけなかっ
た。家の近所に住んでいる友だちと遊んでも、あの六部笠にぼろぼろな衣の放浪の修験者
が、道端に、笈(おい)を置いて、私を見ているかも知れない。
 金網を張った厨子には、おびただしい子どもたちが無心にこちらを見つめている。

こわくてたまらなかった。